Episode2：My 愛犬 is like a 王子様

「何でおもちつながりなの……っ!?」
　思わず出てしまった自(みずか)らの寝言(ねごと)で、エデンは目を覚(さ)ました。そこは見慣(みな)れた自分のベッドの中で……
（なんだ、夢…………じゃ、ないんだよね。少なくとも、パパがあのビミョウな呪文(じゅもん)で戦ってたって言うのは……。うん。そこはもう、あきらめた）
　自分で自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいて、エデンはベッドを降(お)り、着替(きが)えを始める。
（何(なん)か……気が重(おも)いなぁ……。ウチにあの“レトさん”がいると思うと……。契約の獣(エンゲージド・ビースト)とか言われても、実際(じっさい)どういう風(ふう)につき合っていけばいいのか分からないし……。って言うか、今日って何で土曜日(どようび)なんだろう……。せめて学校があればなぁ……）
　ため息をつきながら廊下(ろうか)へ続(つづ)くドアを開(あ)けると、そこには……
「おはようございます。」
　エデンの悩(なや)みの元凶(げんきょう)である“レト”がか何かのように恭(うやうや)しくひざまずいてエデンを待(ま)ち構(かま)えていた。エデンはそのまま部屋の中に引き返したい衝動(しょうどう)に駆(か)られながらも、何とかぎこちない笑(え)みを浮(う)かべて挨拶(あいさつ)する。
「お、おはよう……ございます、レトさん……。あの……まさかとは思いますけど、ずっとここでそうしてたわけじゃ、ないですよね……？」
「いいえ。そうしたいのは山々でしたが、先輩方(せんぱいがた)に『それはキモがられるからやめた方(ほう)がいい』とご教示(アドバイス)いただきまして……。ですので、ここにいたのはほんの一時間ほど前からです。その……一分でも一秒(いちびょう)でも早く姫君にお目にかかりたかったものですから……」
　ほんのり照(て)れたような顔(かお)でそう言われても、エデンには戸惑(とまど)いしかなかった。
「“先輩方(せんぱいがた)”って、アンバーさん達(たち)のことですか？」
　ダイニング・ルームへ向け歩き出しながら、エデンはとりあえず疑問(ぎもん)に思ったことを訊(き)いてみる。
「はい。先輩方には契約の獣(エンゲージド・ビースト)としての心構(こころがま)えなど、様々(さまざま)なことを教(おし)えていただきました」
　エデンの質問(しつもん)に答(こた)えながら、レトは階段(かいだん)の所でさりげなく手を差(さ)し伸(の)べエデンをしようとする。エデンは一瞬(いっしゅん)ためらいながらも、拒絶(きょぜつ)するのも悪(わる)い気がして結局(けっきょく)その手に手を重(かさ)ねた。
（うぅ……っ、恥(は)ずかしいよ……っ。みたいな男の人って、実際(じっさい)に身近(みぢか)にいると、どういうリアクションしたらいいのか分(わ)からないよ……っ）
「あの……姫君。俺(おれ)に対して敬語(けいご)を使うのはやめてください。『さん』付けも要(い)りません。俺は貴女(あなた)の“”なのですから」
「そういうわけにはいかな……いきませんよ……っ。愛犬(ワンコ)っていうのも、あの時あなたがワンコみたいな姿(すがた)だったから、つい言っちゃっただけだし……っ。それに、それを言うならあなたも“姫君”って呼(よ)んだりとか、こういうみたいなのとか、敬語とか、やめてもらえませんか？」
　それはエデンにとって精一杯(せいいっぱい)の抵抗(ていこう)だった。だが、レトはきょとんとした顔でエデンを見つめた後、どこか含(ふく)みのあるような優雅(ゆうが)な微笑(ほほえ)みを浮(う)かべ口を開(ひら)く。
「貴女(あなた)は俺が忠誠(ちゅうせい)を誓(ちか)う“主”。そんな貴女(あなた)を我(わ)が姫として接(せっ)することの、何がいけないのですか？それに、これは俺が無理(むり)をして、イヤイヤしているようなことではなく、好(す)きでやっていることです。それでも敬語をやめろとおっしゃるなら、俺はイヤイヤ、無理をして貴女に“タメ口(ぐち)”をきくことになるのですが……お優(やさ)しい我が姫はそのようなご無理を強(し)いたりはなさいませんよね？」
「う……っ、そ、それは……えっと…………はい」
　笑顔(えがお)で押(お)し切られ、エデンは何かに敗北(はいぼく)したような気分でうなずいた。
（うぅ……っ、何だかこのヒトのペースに巻(ま)き込(こ)まれちゃってる気がするよ……。負(ま)けちゃいそう……）
ぐったりした気分でダイニング・ルームの扉(とびら)を開(あ)けると、そこには、いつもならいるはずの母の姿(すがた)がなかった。
「……あれ？ママは……？」
「今朝(けさ)早くに出勤(しゅっきん)なさいましたよ。やり残した仕事をどうしても今日中(きょうじゅう)に片付(かたづ)けなければいけない、とのことで。昨日(きのう)はエデンお嬢様(じょうさま)の覚醒(かくせい)の知らせを受けて会社を早退(そうたい)なさっていましたので」
　屋敷(やしき)のハウスキーパーであるマイカがエデンの朝食を用意しつつ、柔和(にゅうわ)な笑顔(えがお)で説明(せつめい)する。
「……そうなんですか」
　レトの引いたイスに恐縮(きょうしゅく)しながら座(すわ)り、エデンは朝食を始(はじ)める。だが食事(しょくじ)をとりながらも、つい気になって目の前のマイカをチラチラと見てしまう。
（この人も“契約の獣(エンゲージド・ビースト)”なんだよね。しかも白鳥(はくちょう)に変身(へんしん)できる……）
　エデンの視線(しせん)に気づいたのか、マイカはエデンの食べ終(お)わった皿(さら)を片付けながらくすりと笑(わら)った。
「私のことが珍(めずら)しいのですか？エデンお嬢様(じょうさま)」
「え……っ、いえ、その…………はい。正直(しょうじき)言うと、何(なん)だか気になります。だって、昨日(きのう)まではただのイケメ……あっ、いえ“フツウの人間(にんげん)”だと思ってたのに、その正体(しょうたい)があんなにフワッフワな鳥さんだったなんて……っ」
　昨日のマイカたちの姿(すがた)を思い出し、アニマル好きのエデンの顔(かお)は自然(しぜん)とゆるむ。
「……正体が鳥だったというわけではなく、あれはこの世界(せかい)での実体(じったい)を持つにあたり、見た目を鳥に似(に)せて擬態(ぎたい)しているだけなのですが……。それにしても、聞きしに勝(まさ)るアニマル好きなのですね。それならばレトともきっとすぐに仲良(なかよ)くなれますね」
「え……？それってどういう……」
　訊(き)きかけて、エデンはハッと閃(ひらめ)いた。
「もしかして、レト……さんも、あんな風(ふう)に“アニマル化(か)”できるんですか!?結界(けっかい)の中で見た、あの透明(とうめい)な獣(けもの)の姿じゃなくて……！」
「あ……ええ……はい。アレはまだ姫君(ひめぎみ)と契約(エンゲージ)を結(むす)ぶ前の、実体を持たない状態(じょうたい)の姿でしたから……。今は姫君のおっしゃるように“アニマル化”することもできます」
　身(み)を乗(の)り出すエデンとは正反対(せいはんたい)に、レトはあまり乗り気ではなさそうだ。
「……見たいなぁ。レトのアニマル姿(すがた)」
　主(あるじ)から上目遣(うわめづか)いに訴(うった)えられ、レトは困(こま)ったように硬直(こうちょく)した後、しぶしぶというように目を閉(と)じた。
　次の瞬間(しゅんかん)、それまでエデンの目の前にあった“レト”の姿が、手品(マジック)の消失(しょうしつ)トリックのようにかき消(き)える。ワクワクしながらエデンが視線を落(お)とすと、そこには……
「うわっ、うわっ、うっわぁああぁあ〜……。だぁ……。何(なん)で？何でこの姿なの……？」
　これまでテレビや写真(しゃしん)や近所(きんじょ)の人が散歩(さんぽ)させているところなどは見たことがあっても、これほど間近(まぢか)に実物(じつぶつ)を見たことはなかった優雅(ゆうが)な大型犬(おおがたけん)の姿に、エデンは興奮(こうふん)を隠(かく)せない。
「……“契約の獣(エンゲージド・ビースト)”の外見(がいけん)は、契約時(けいやくじ)に主(マスター)が胸(むね)に抱(いだ)いたイメージの影響(えいきょう)を受(う)けるのですよ。貴女(あなた)はこういう姿の“愛犬(あいけん)”を望(のぞ)んでいらっしゃったのでしょう？」
「うん！うん！そうなんだぁ……。夢(ゆめ)だったんだよね、ゴールデンを飼(か)うの。ねぇ、あの……モフモフってしても、いい？ギュ〜って抱(だ)きついてもいい？」
　それまでとは明(あき)らかに態度(たいど)の違(ちが)うエデンに、レトはひどく複雑(ふくざつ)そうな表情(ひょうじょう)を浮(う)かべる。その様子(ようす)を見かねたのか、マイカが苦笑混(くしょうま)じりに助(たす)け舟(ぶね)を出してくる。
「エデンお嬢様(じょうさま)、ソレは本物のゴールデン・レトリーバーではなく、あくまでゴールデン・レトリーバーに擬態(ぎたい)したレトですから。本物の犬に対(たい)するようなスキンシップの仕方(しかた)は、ちょっといろいろと問題(もんだい)があるかと……」
　ずっと憧(あこが)れていた犬を前に我(われ)を忘(わす)れていたエデンは、その言葉(ことば)にハッとしたように一瞬(いっしゅん)で顔を真(ま)っ赤(か)に染(そ)める。
「あ、そ、そうだよね……っ。今は可愛(かわい)いゴールデンでも、さっきまでは人間(にんげん)の姿だったんだもんね……っ。気安(きやす)くモフモフしたり、抱(だ)きついたりしちゃダメだよね……っ」
　恥(は)じらい、しょんぼりと下を向(む)くエデンに、レトは一瞬(いっしゅん)で人の姿に戻(もど)り、そっとその指先を握(にぎ)った。
「いえ……その……触(ふ)れていただくこと自体(じたい)はうれしいのですが……。俺(おれ)は貴女(あなた)に愛玩(あいがん)されるペットではなく、貴女(あなた)を守り、共(とも)に戦(たたか)える存在(そんざい)でありたいのですよ。貴女(あなた)の身は、これからも“災厄の獣(カラミタス・ビースト)”に狙(ねら)われ続けることでしょう。俺はそんな貴女(あなた)の“力”になるべく、貴女と契(ちぎ)りを交(か)わしたのです」
　「私の“力”になるって……もしかして、昨日(きのう)の猫神(ねこがみ)先輩(せんぱい)みたいに……？」
　エデンの脳裏(のうり)に昨日の戦闘(せんとう)シーンが浮(う)かぶ。エデンの口から猫神の名が出た途端(とたん)、レトは不機嫌(ふきげん)そうに顔をしかめた。
「あんなと俺を一緒(いっしょ)にしないでいただきたいのですが……。まぁ、原理は似(に)たようなものですね。俺の持つ能力を貴女(あなた)にお使いいただくわけです。俺の能力は“念動(ねんどう)”。目に映(うつ)る範囲(はんい)に存在(そんざい)する、ある程度(ていど)までの大きさ・重さの物体(ぶったい)を、意思(いし)の力だけで自在(じざい)に動かせます」
「ああ！そう言えば、昨日の攻撃(こうげき)ってそうだったもんね！」
　エデンが明るく言うと、レトは気まずげに口元を引きつらせる。
「あの……その節(せつ)は、本当に申(もう)し訳(わけ)ありませんでした」
「いいよ。気にしてないよ。それより、ある程度って、どの程度？昨日の攻撃で投げてきたのと同じくらい？」
「それは、貴女(あなた)と俺次第(しだい)ですね。契約の獣(エンゲージド・ビースト)の能力は、災厄の獣(カラミタス・ビースト)だった時とは違(ちが)い、貴女ご自身の御力(おちから)と、貴女と俺の“絆(きずな)の力”の強さにより左右(さゆう)されますから」
「え……っ？それじゃ、実際(じっさい)やってみるまで分からないってこと？ぶっつけ本番なの!?」
　かなり意図的(いとてき)に強調(きょうちょう)した“絆(きずな)の力”という部分を見事(みごと)に流(スルー)され、レトはひそかにショックを受ける。そんなレトに代(か)わり、マイカがしばらくの沈黙(ちんもく)の後、ある提案(ていあん)を出してきた。
「それなら、これから特訓(とっくん)をなさってみてはいかがですか？」
「「特訓!?」」
　エデンとレトの声がキレイに重な(ハモ)る。
「はい。幸(さいわ)い当家(とうけ)には特訓の相手に適(てき)した契約の獣(エンゲージド・ビースト)が幾人(いくにん)もおりますし。……と言うわけですので、アンバー。エデンお嬢様(じょうさま)とレトのお相手を頼(たの)めますか？」
「……って、お前がやるのではないのか！」
　厨房(ちゅうぼう)へ続くドアが勢(いきお)いよく開(ひら)き、鷹(たか)という別の姿(すがた)を持つコーデリアの契約の獣(エンゲージド・ビースト)・アンバーが飛び出して来る。
「……アンバーさん……？」
「アンバー先輩(せんぱい)……ひょっとして、盗(ぬす)み聞(ぎ)き……」
　エデンとレトの唖然(あぜん)とした表情に、アンバーは決まり悪そうに咳払(せきばら)いをする。
「違(ちが)います。たまたま隣室(りんしつ)で作業(さぎょう)をしていたところ、会話が聞こえてきたものですから……。その……この屋敷(やしき)のハウスキーパー・チームのチーフとして、少々気にかけさせていただいただけです」
「アンバーはこう見えてもウチで一番面倒見(めんどうみ)が良いですから。エデンお嬢様(じょうさま)のこともレトのことも、かなり気にかけてハラハラしているんですよ」
「そう……なんですか……？」
　エデンはやや疑(うたが)わしげに、イケメンだが眼光(がんこう)が鋭(するど)く強面(コワモテ)な印象(いんしょう)のあるアンバーの顔を見つめる。アンバーは不機嫌(ふきげん)そうにマイカをにらみつけた。
「余計(よけい)なことを言うな。それより特訓(とっくん)の相手を俺に、と言ったが、そういうことは言いだしっぺのお前がやるべきではないのか？」
「……私の能力ではレトにとって相性(あいしょう)が良くないでしょうから」
「俺だって、適役(てきやく)とは言い難(がた)いぞ」
　口では文句(もんく)を言いながらも、アンバーは背広(せびろ)を脱(ぬ)ぎ、腕(うで)まくりをして特訓の準備(じゅんび)らしきものを始めている。
「……まぁ、ろくに実践(じっせん)も無いまま本番では、エデン様の身に危険(きけん)が及(およ)びかねんからな。……では、僭越(せんえつ)ながら私がお相手をさせていただきます。私の能力は“植物(しょくぶつ)操作(そうさ)”。今回エデン様には私の繰(く)り出す攻撃(こうげき)を避(よ)けていただき、私に一撃(いちげき)でも入れられたら特訓終了(しゅうりょう)、ということにいたしましょう」
　言うなりアンバーは鷹(たか)へと姿を変え、くちばしを開(ひら)いてピルルルルッと甲高(かんだか)い鳴き声を上げた。レトがハッとしてエデンの肩(かた)に手を置(お)く。
「え……っ、な、何……っ!?」
「アンバー先輩(せんぱい)の結界(けっかい)が開(ひら)きます。俺から離(はな)れないでください」
　レトがいい終わるより早く、昨日(きのう)レトの結界に引き込まれた時と同じ、世界が歪(ゆが)み、回るような感覚(かんかく)がエデンを襲(おそ)う。エデンは思わず、すがりつくようにレトの服の端(はし)をつかんだ。