〜マホウショウジョジャナクテ、マホウミコナノ!〜
自分の家庭がよそと比べてちょっと違うということに、人間は意外と気づかない。
むしろ、そのちょっと特殊な家庭事情を、ごくごくフツウの当たり前とカン違いしてしまったりする。エデンの場合もそうだった。
いや、エデンの場合、分かりやすく特殊な母親のせいで、父親の特殊性に気づくのか少しばかり遅れてしまった、と言い訳できなくもない。
「ねぇパパ、イギリスにはママのパパとママ――つまり、エデンのおじいちゃまとおばあちゃまがいるんだよね?」
小3当時のエデンの問いに、父・
「そうだね、いるよ。今もお元気でいらっしゃると思うよ」
「……じゃあ、何で会えないの?エデン、おじいちゃまとおばあちゃまに会ったことも、メールやお手紙したこともない。それにイギリスにだって一度も行ったことない。そんなのヘンだって、みんなに言われた。エデンがウソをついてるんじゃないかって……」
エデンの母親は英国人、父親は日本人。つまりエデンは日英ハーフだ。
それを知ると大概のクラスメイトは珍しがり、自分たちの知らない“イギリス”の話をききたがる。
だがエデンもまたそんなクラスメイトたちと同じく、イギリスのことなどほとんど知らなかった。
エデンの母親は自分の生い立ちや故郷のことについてはいつも言葉を濁し、教えてはくれなかったからだ。
「ごめんなー、エデン。パパとママはカケオチ同然に結ばれたから、ママのパパとママはもちろん、パパのパパとママにも、うかつに会いに行くことはできないんだ」
そう言いながら、慈恩は誤魔化すように足元に伏せた仔鹿の頭を撫でる。
「じゃあ、エデンはこれからもイギリスに行くことはできないの?」
「……そうだなー。いろいろな問題が解決したら、いつかは行けるかもなー。あ……でも、その時にはこのコたちをどうするかな……。置いてけぼりにすると暴れるだろうからな……」
そう言って辺りをぐるりと見渡す慈恩の視線の先には、タヌキ、イノシシ、キツネ、ニホンザル、仔鹿、狼(……のように見えるが、ニホンオオカミは絶滅したはずなので、おそらくは狼に似た大きい犬なのだろうとエデンは当時思っていた)が、それぞれ思い思いの格好でくつろいでいた。
「そっかぁ……ミドリもボタンもコンちゃんもパン君もビビちゃんも、飛行機には乗せていけないもんねぇ……。コタちゃんとななちゃんだけならイヌとネコでペットってことで連れて行けるかも知れないけど……」
「ははは。ふたりだけヒイキはできないなー。そうなると、パパは家にお留守番かな?」
「えー?それはダメだよ!それにななちゃんが行かないんだったら、エデンも行かない!だってエデンはななちゃんのゴハン係だもん!一日だって離れ離れはダメなの!」
その時「ゴハン」という単語に反応したのか、奥の和室から細身の黒猫が首輪の鈴をちりちり鳴らして歩いてきた。
猫はエデンの前まで来て「なぁー」と鳴いた後、すぐに慈恩の腕にまとわりつき、甘えだす。
「あぁー!ななちゃん!ななちゃんのゴハン係はパパじゃなくてエデンだって、いつも言ってるでしょ !? おねだりするならパパじゃなくてエデンじゃなきゃダメなんだからね!」
「ははは。これはゴハンの催促じゃなくて、純粋にパパに好意を示しているんだよ」
「もうっ!何でななちゃんも他のみんなも、パパが一番なの !? いっつもみんなをひとり占めしててズルいよっ!」
「ははは。仕方ないさ。だってパパはこのコたちの……」
そこで、エデンは夢から覚めた。
エデンはぼんやりとベッドの上に起き上がり、夢に出てきた懐かしい風景に思いを馳せる。
(……あれは、4年前かな……。あの頃はまだ、パパも皆もいたんだよね……)
平屋建てのこじんまりした日本家屋に、家族三人で、たくさんの動物たちに囲まれて暮らしていた幼い頃の記憶が、今もエデンにとって一番大切な思い出だ。
(あの頃はフシギに思ってなかったけど、パパってば何であんなに動物に好かれてたんだろう?犬(?)のコタちゃんや猫のななちゃんはともかく、フツウは野生の動物たちがあんな風にフツウの家でペットみたいに懐いてるってこと、あんまり無いよね……。しかもあんなにいろいろな種類の動物たちが、ケンカもせずに一緒にいたなんて……)
時計を見ると、目覚ましアラームの5分前だった。
エデンはベッドから下り、制服に着替え始める。二日前に入学したばかりの私立中学の制服だ。チョコレート色のセーラーカラーと、特徴的な形で入った桜色のラインがエデンは気に入っている。
(懐かしいな……。あれからパパが事故でいなくなっちゃって……皆も、いつの間にかいなくなっちゃってたんだよね……。タヌキのミドリに、イノシシのボタン、キツネのコンソメに、サルのパンチ、鹿のビビンバに、犬(?)のコタツ、そして……ななちゃん……)
幼いエデンにとって野生の獣や躯の大きな犬(?)は、触れてはみたいものの何だか少し近寄り難く、唯一安心して可愛がれたのが“ゴハン係”として世話をしていた黒猫だった。
絹のようにつややかな毛並に金色の瞳、細くて長い優美なシッポを持つ美しい黒猫だ。エデンは今でもこの猫が世界で一番美しいと思っている。
(ななちゃん……。今もどこかで生きてるよね……?いつか、また会えるよね?会いたいよ……ななちゃん……)
いつもの願いを胸の中で囁きながら、エデンは窓辺に立ち、フリルとドレープがたっぷりついたカーテンを勢い良く開けた。
その先に広がっていたのは、夢に出て来たこじんまりした庭ではなく、広々としたバルコニー、そしてその向こうに広がる美しい英国式薔薇庭園だった。
そう、今のエデンが暮らしているのは、幼い頃に住み慣れた平屋建ての小さな家ではない。明治時代の華族の邸宅を思わせる、広大で華麗で、古めかしい洋館だった。
「……夢と現実のギャップが激しい……」
思わず口に出してつぶやき、エデンは部屋を出る。
繊細な装飾の施された手すり付きの階段を下り、この屋敷の中でもとりわけ広いダイニング・ルームの扉を開けると、そこにはさらに現実味の無い光景が待ち受けていた。
「アラ、エデン。おはようございますでス」
胸元の開いた黒サテンのワンピースに、グロスでつやつやと輝く唇、豊かに波打つ金髪をナチュラルに肩に流した、まるでハリウッドのセレブ女優のような美女が優雅に微笑み、朝のあいさつをしてくる。
「……おはよう、ママ」
エデンの母・コーデリア。日本での名は鈴木
「ママ、その格好で会社に行くの……?」
「今日は午前中から新商品の撮影があるのでス。家から直接向かうのでス」
コーデリアも数年前――慈恩がいた頃までは、このような派手な姿ではなかった。長い髪を一つに束ね、服装はいつもシンプルな淡いパステルカラーのコーディネートで、いかにも清楚な母親という雰囲気を漂わせていた。
それが、慈恩がいなくなり『これからはワタシがこの家の大黒柱なのでス!』と言い出して化粧品の会社を立ち上げてからは『社長本人が美のカリスマにならなくては、説得力がありませんのでス!』と、どんどん派手な容姿に変貌していった。
会社は同業者たちから『一体どんな魔法を使ったんだ?』と驚かれるほどのスピードで業績を上げていき、ついには中古物件とは言え、こんな豪邸を購入できるまでになったのである。
とは言えこの引越しに、住み慣れた家を離れたくなかったエデンは猛反対した。だがコーデリアは『エデンにはそのうち、広い住宅が必要になる可能性がアルのでス!』と、よく分からないことを言い張って聞き入れてくれなかった。
そして、この屋敷に越してきてから、さらにエデンを戸惑わせている事態がもう一つ。それは……
「おはようございます、エデン様」
「今朝はいつもより少しお早いですね、エデンお嬢様」
「すぐに朝食をお持ちします!お嬢様!」
ダイニング・ルームのあちこちから次々に声をかけてきたのは、執事風のスーツに身を包んだ、それぞれタイプの異なる三人の美青年だった。
「お……おはよう、ございます……。アンバーさん、マイカさん、アズライトさん……」
彼らはこの屋敷に勤めるハウス・キーパーたちだ。この場にはいないが、この屋敷には厨房係や庭師など、他にも容姿の整った男たちが勤務している。
(……いつも思うんだけど、何なの?このイケメン逆ハーレムは……。自分の家じゃないみたいで、落ち着かないよ……)
父がいなくなった後、次々と若い男を雇い入れ始めたコーデリアに、初めエデンは猛反発した。しかしコーデリアはどう見ても未だ慈恩一筋で、他の男と恋愛関係に発展しそうな気配は微塵もない。だが、彼らの方は……
「コーデリア様、朝の紅茶をお持ちいたしました」
「コーデリア様、今朝はどの新聞からお読みになりますか?」
「コーデリア様!新しいお花を飾ってみました!今回は元気が出るようにとインコ風極彩色にまとめてみたのですが、いかがですか?」
コーデリアに群がる彼らの様子はまるで女王にかしづく下僕……いや、主人からホメられたくて必死にアピールするペットのようだった。その瞳にはいずれもコーデリアに対する切ないほどの情熱が宿っている。
他人の報われない片想いを朝から見せつけられたエデンは、今朝もいたたまれなさに身を小さくして朝食を終え、そそくさとダイニング・ルームを出ようとする。
「じゃあ、行ってくるね、ママ」
「あァ、エデン。チョット待つのでス」
「え?何?」
「エデンが
「変わったこと……?ううん。べつに何もないけど」
「そうでスか。それならバ、ヨイのでス」
何か引っかかるような母の質問にわずかの違和感を覚えながらも、エデンはそのままダイニング・ルームを後にした。
エデンの通う
エデンはそんなバス乗り場の一つでバスを待ちながら、心の中で自分に気合を入れていた。
(今日こそは、もっと皆と仲良くならないと!教室でちょっとおしゃべりする程度じゃなく、一緒に遊んだりとかいろいろできる“友達”を作らなきゃ!)
父親の付けた独特な名前と、よくよく目を凝らして見れば「ひょっとしてハーフ?」と気づかれるようなやや色素の薄い髪と目の色により、エデンに話しかけてくれるクラスメイトは入学初日から結構な確率で存在した。
だが小学生の頃と変わらず、昨日も一昨日も、母親やイギリスに関する質問に上手く答えられず、がんばって代わりの話題を振ろうとするも空回りばかりしてビミョウな空気を作ってしまったエデンなのである。
(この学校、知ってる子、少ないんだもん。しっかり友達作りしておかなきゃ、これからの学校生活に関わってくるもんね)
失敗続きの2日間を思い出してほんのり凹みつつも、エデンの心はリベンジに燃えていた。早い段階でいかにクラスメイトたちと良好な関係性を築けるかで今後の1年間が変わってくると言っても過言ではないのだ。事態は切実だ。
(そう言えば、このバスに同じクラスの子、乗ってたりしないのかな?通学路が一緒だと仲良くなりやすいよね……)
到着したバスの扉が開くなり、エデンはタイムセールのワゴンからお目当ての品を探し出そうとするかのような必死さで車内を見渡していった。だが、そのせいで足元への注意がすっかりおろそかになる。
気づけばエデンは車内へ上がるステップの段差を思いきり踏み外していた。
「きゃ…………っ」
(……ヤバいっ、転んじゃう……!しかもこの体勢のままじゃ、すっごく派手にコケちゃうよ……っ!)
一気に血の気が引く。エデンは無意識に身を硬くし、これから訪れるであろう衝撃に備えた。
だが、長いようで短い一瞬の間の後に訪れたのは、想定していたのとはまるで違う『ぽすん』というごくごくソフトな衝撃だった。
「…………え?」
「……大丈夫か?」
頭上から降ってきたのは、どこか懐かしい響きを持つ……だが、全く知らない少年の声。
おそるおそる視線を上げると、そこには絹のようにツヤめくサラサラの黒髪にふちどられた、線の細い印象の少年の顔があった。
エデンはすぐには状況が把握できず、ただ呆然とその顔を見上げる。
(え……っと……誰、だっけ……?何だか、やけに懐かしいような気がするけど、思い出せない……。って言うか、今のこの状況は……?)
頬に感じる制服の生地の感触と、支えるように背に回された腕のぬくもりに、エデンは遅ればせながら、自分が彼に抱きとめて助けてもらったことを悟る。
「わっ、うわわわわわわっ……あ、あ、ありがと……う、ご、ございます……っ!」
動揺のあまり言葉が上手く出て来ない。彼はにこりともせずにエデンを見つめると、無言でその体勢を整えさせ、さっさとバスに乗り込んでいってしまった。
だがエデンはその去り際、彼の唇からこぼれた小さなつぶやきを聞き逃さなかった。
「……ったく、相変わらず危なっかしいやつ……」
「え……?」
(この人、私のこと知ってる……?何だかこの人を見てると、泣きたいくらいに懐かしくなる……これは、気のせいじゃ、ない?でも、思い出せない。分からないよ。この人、誰なの……?)
思うがままに質問を浴びせたかったが、彼はもはやエデンの方など一切見ておらず、その横顔からは『話しかけるな』と言わんばかりの威圧感が感じられた。
エデンはしかたなく、少し離れた座席から、窓の向こうの景色を見るフリをしながらチラチラと彼の姿をながめることにする。
「ねぇねぇ、あのヒト、なんかカッコよくない?クールな美少年ってカンジ。あんなヒト、うちのガッコにいたっけ?」
「あの校章の色、2年だよね。でも、見覚えないなぁ……。あんなタイプ、うちの学年にいたかなぁ?」
既に車内にいた女子二人組が、彼の方を指差してヒソヒソささやくのが聞こえてくる。
(2年生……。じゃあ、一年先輩なんだ)
さっきから心臓がドキドキと激しく脈打って落ち着かない。それがステップを踏み外しかけたせいなのか、それとも別の何かのせいなのか、エデンには判断がつかなかった。
(話しかけたい……なぁ。でも、何だか近寄りがたい感じがするし、心臓がドキドキし過ぎて上手くしゃべれない気がする……。それに、そもそも何て言って話しかけたらいいのか分からないよ……っ。)
エデンがそんな風にモヤモヤ悩んでいる間にも、バスはどんどん進み、学園に近づいていく。
中高一貫で多数の生徒を抱える花ノ咲理学園は、丘(……と言うより、もはや小規模な山)をまるごと一つ敷地に持つ広大な学校だ。そんな学校の敷地への入口を示す立て看板の横をバスが通り抜けた瞬間、エデンは妙な違和感を覚えた。
(……え?何?今、なんか肌がピリッとしたような……)
何が起きたのか分からないまま、何となく車内を見回してみる。すると、例の少年が先ほどまでとは打って変わった険しい表情でこちらに近づいて来るのが目に入った。
「……とうとう来たか。まぁ、これだけ魅力的なエサに飛びつかないはずがないってのは分かっていたがな……」
少年は口の中でぶつぶつとつぶやきながらエデンの横まで移動して来ると、おもむろにその腕をとった。
「え……!? あの……っ」
戸惑うエデンに少年はひそめた声で告げる。
「お前、今からしばらく俺のそばから離れるな」
「えぇ……!? な、な、何で……っ」
言いかけ、だがその言葉を最後まで言い終わらぬうちに、エデンはひどいめまいに襲われた。
少年は舌打ちし、エデンの腕をにぎる力を強める。
世界が歪み、ぐるぐる回っているような感覚の中、エデンはどこかで聞いた覚えのある、ちりん、という鈴の音を聞いた。
このページは津籠 睦月によるオリジナル・ファンタジー小説の本文ページです。
構成要素は恋愛(ラブコメ)・青春・魔法・アクションなどです。
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