ドーリア人が作った都市国家で、イオニア人の作ったアテナイと並び、古代ギリシャの代表的な都市国家。
「スパルタ教育」の名の由来ともなった厳しい教育制度で有名。
ペロポネソス半島に存在し、農業本位で閉鎖的、軍事的な都市国家だった。
重武装歩兵による戦闘集団「ファランクス」からなる軍事力でアテナイを中心とするデロス同盟を破り(ペロポネソス戦争)、ペロポネソス半島の覇者となった。
スパルタの国家としての性格を決めたのは紀元前7世紀末頃の立法家リュクルゴスで、元老院に王と対等の票決権を与えたり、土地の所有を再分配して貧富の差をなくそうとしたり、共同会食制を作って規則正しい質素な食事を共同で行わせるなどした。
ドーリア人が南下する以前の先住民へロットに対し、奴隷として力で支配したり、スパルタの高官に任じられた者は就任後すぐにヘロットに戦いを挑むのが当然など、苛烈に弾圧した。