第六章 幸有(さくあら)の花

 (むら)はそこからそれほど(はな)れていない場所にあった。
 案内された邑長(むらおさ)の家ではその夜、邑人(むらびと)達の心尽(こころづ)くしの酒宴(しゅえん)(もよお)された。
 草壁(くさかべ)の部屋の中、()の周りを囲むように(なら)べられた高坏(たかつき)には、(むら)の女達の手による精一杯(せいいっぱい)のもてなし料理が盛りつけられている。
 赤米(しゃくまい)()(ぐり)雑炊(ぞうすい)に、どんぐりの団子(だんご)に、若菜汁(わかなじる)……。花夜は言葉も無くそれらを見つめ、瞳を輝かせる。
(もう)(わけ)ございません。神様とその巫女様に(ささ)げるには到底(とうてい)不釣合(ふつりあ)いな、心ばかりの粗末(そまつ)な御食事ではありますが、我が(むら)ではこれが精一杯でして……」
 ひどく恐縮(きょうしゅく)した様子で告げる邑長(むらおさ)に、花夜は笑顔で首を()る。
「いいえ。どれも私の好物です。それに、こうして()のそばで夕食を囲むこと自体、ひさしぶりですし」
「あの……あなた様方は、何処(どこ)の国の神様と巫女様なのでしょう。何故(なぜ)このような所を旅してらっしゃったのですか?私は今まで、神様や巫女様というものは、国の奥まった神社にお()もりになって、滅多(めった)に外へはお出にならないものとばかり思っておりましたが」
 邑人(むらびと)何気(なにげ)ない問いに、花夜は(さじ)を持つ手を止めた。しばし逡巡(しゅんじゅん)し、(うかが)うように俺の目を見た後、花夜は小さな声で告げた。
「私達は何処(どこ)の国にも属していません。実は私達、帰る国をなくしてしまいまして……」
 場の雰囲気(ふんいき)が一瞬で変わる。問いを口にした邑人(むらびと)蒼白(そうはく)な顔で平伏(へいふく)した。
「も、申し訳ありません!そのようなことをお()きしてしまって……!」
「いいえ、(あやま)られるようなことではありませんよ」
「しかし、それは大変ですな。か弱き少女の身で旅などと……。今までさぞ、お(つら)いことも多かったでしょう」
「もしかして、旅をしながら落ち()く先を探していらっしゃるのですか?神様とその巫女様ともなれば、(むか)()れたいと望む国や里は山のようにあるでしょうからね」
「これからどちらへ向かわれるおつもりなのですか?お急ぎの旅でないなら、しばらくこの(あた)りにお(とど)まりになってはいかがでしょう」
 邑人(むらびと)達は、表向きはそれまでと変わらぬ(ふう)(よそお)いながらも、その眼差(まなざ)しはにわかに熱を()び、熱く花夜に(そそ)がれていた。俺には彼らの心中が手に取るように分かった。
 神の力を()の当たりにした人間の反応は、いつも同じだ。一度だけでは()き足りず、二度三度と続けて神の恩恵(おんけい)(あずか)ろうとする。
 花夜に向けられる邑人(むらびと)の視線を苦々(にがにが)しく思った俺は、わざと不機嫌(ふきげん)さを(あらわ)にして口を(ひら)いた。
「花夜、酒がなくなった」
 話を(さえぎ)るように、乱暴に(さかずき)()き出すと、途端(とたん)に邑人達はぴたりと口をつぐみ、恐いものでも見るかのような顔で俺を見た。花夜はきょとんとした顔をした後、「仕方(しかた)がない」とでも言いたげな顔で微笑(ほほえ)む。
「はい。今お()(いた)します。でも、ほどほどにして下さいましね。どこぞのオロチの伝承(でんしょう)のように、お酒で身を(ほろ)ぼしでもされてはかないませんから」
 邑人(むらびと)達は、まだ何か花夜に話しかけたそうにしていたが、俺を(おそ)れてか誰も(みずか)ら口を(ひら)くことはしなかった。気まずい沈黙(ちんもく)()りる。(さと)い花夜は苦笑を浮かべ、わざと明るい声を出し、邑人達に(ちが)う話題を()る。
「あの、私達、今は祈形国中(せかいじゅう)の美しい景色(けしき)を求めて気ままな旅をしているのですが、この(あた)りでどこか美しい景色が見られる場所をご存知ではありませんか?」
 問われた邑人(むらびと)は俺の方を気にしながらも、やや安堵(あんど)したように顔の強張(こわば)りを()く。
「それでしたら、やはり不尽(ふじ)の山でしょう。祈形国(ネノカタスクニ)広しと言えど、あれほどの山は他にはありません」
峡国(かいのくに)は山神様に加護された国ですからね、どの山も見ごたえがあるはずです」
 人々が口々に国内の名所を()げていく中、一人の若者がふと思いついたように口を開いた。
「この辺り、と言うには少し遠いですが、千々峰(ちちぶ)を越えた向こう、霧狭司国(むさしのくに)宮処(みやこ)は、それはそれは壮麗(そうれい)で、一見の価値があるものだそうですよ」
馬鹿(ばか)。他国のことを言ってどうする」
 峡国(かいのくに)の良い所を印象づけたかったのであろう他の邑人(むらびと)たちに小声で小突(こづ)かれても、若者はわけが分かっていない顔で首を(かし)げるばかりだった。
「……霧狭司(むさし)
 その名を、花夜は無表情につぶやく。
 俺と花夜は四年の間に祈形国(ネノカタスクニ)(いた)る所をめぐったが、霧狭司国(むさしのくに)には一歩も足を()み入れていなかった。
「それほどに美しい所なのですか、霧狭司の宮処(みやこ)は」
 自分の言葉に興味を示してもらえたのがうれしかったのか、若者は瞳を輝かせてうなずく。
「私もこの前、(むら)に立ち寄った旅の商人から(つた)え聞いただけなのですが、他の国々とはまるで(ちが)う、この世のものとは思えぬ美しく大きな宮処(みやこ)だそうです。私も一度行ってみたくてたまらないのですよ」
馬鹿(ばか)を言うな。あのような、他国に(いくさ)仕掛(しか)けてばかりの国など……。峡国(かいのくに)の方がよほど良い国ではないか」
「そうだそうだ。噂ではあの国は、鎮守神(ちんじゅしん)の加護を持つ国々にまでちょっかいをかけているそうではないか。神の加護する国同士が争うなど、(おそ)ろしいことだぞ」
「……そうですね。恐ろしいことです。何故(なぜ)霧狭司(むさし)鎮守神(ちんじゅしん)様は、そのような恐ろしい(たくら)みを黙認(もくにん)なさっているのでしょう……」
 それは邑人(むらびと)へ向けた言葉というよりも、ひとりごとのようだった。花夜は邑人達の会話に相づちを打ちながらも、心ここにあらずな表情だった。何を考えているのか(うかが)い知ることはできない。だが、(いや)な予感に胸が(さわ)いだ。
 翌朝、別れの挨拶(あいさつ)()べて(むら)を出ようとする花夜の前に、邑長(むらおさ)がおずおずと進み出た。何を言い出すつもりか、俺には予想がついていた。
「あの……男神(オガミ)様、巫女様、どうかこのままこの(むら)に留まり、我らの鎮守(ちんじゅ)となってはいただけませんか?」
 それは今までにも、こうして(むら)や里に立ち寄るたびに言われ続けてきた言葉だった。花夜は(こま)ったような顔で邑人(むらびと)達を見渡し、口を(ひら)いた。
「申し(わけ)ありませんが、そのお申し出はお受けできません」
 邑人(むらびと)達の間からがっかりしたようなため息がこぼれる。だがそこには、初めから断られることが分かっていたとでもいうようなあきらめの(ひび)きも混じっていた。
「残念ですが、仕方(しかた)ありませんな。このような田舎(いなか)ではとても男神様のご期待には()えませんでしょうし。旅立ちの前に御心を乱すようなことをいたしまして申し(わけ)ございませんでした」
 深々と頭を下げる邑長(むらおさ)を前に、花夜は腰の小袋を探る。
「あの……、私達はここに留まることができませんが、代わりにこの種を置いていきます。どうか受け取っていただけませんか?」
 そっと手のひらに()せられた種に、邑長(むらおさ)は瞳を(またた)かせた。
「種、ですか?一体何の種でしょう?」
 花夜は微笑(ほほえ)んで告げる。
「私の祈魂(ホギタマ)()めた幸有(さくあら)の花の種です。()がいを()めて育てれば、その人が大切に想う(だれ)かに、きっと幸せを(さず)けてくれます」
「あれで良かったのか?」
 (むら)(はな)れてしばらくしたところで、俺は花夜に問いかけた。
「何がでしょうか?」
「あの邑のことだ。お前が望むのなら、あのままあの(むら)鎮守神(ちんじゅしん)となっても良かったのだぞ」
「いいえ、いいんです。そもそもヤト様はあの(むら)のこと、あまり気に入ってはいらっしゃらなかったでしょう?」
「……気づいていたのか」
「気づきますとも。私はあなたの巫女ですもの」
 どこか(ほこ)らしげに微笑(わら)ってそう言い、花夜は俺の目をじっと(のぞ)()んだ。
「それで、ヤト様はあの(むら)のどこが気に入らなかったのですか?」
「……何もかもだ。神の力を欲しながら、俺のことは(おそ)れて目も合わせられない所も、それでいて巫女の方は懐柔(かいじゅう)しようと()()れしくお前に話しかけていたことも、口では鎮守神(ちんじゅしん)を強く求めながら、初めからあきらめの態度が()けて見える所も、全てだ」
「そこまでお嫌いになっては可哀想(かわいそう)です。神と会うのも初めてという人々には無理もないことかと思いますし」
「そうだったとしても、俺はあの手の連中は虫が好かん。自分の力で物事を()そうとせず、他人の力や(なさ)けを当てにするような連中はな。幸有(さくあら)の花にしても、無事(ぶじ)に育てられるものかどうか(あや)しいではないか。良かったのか?残り少ない種をあの(むら)に置いてきてしまって」
 幸有(さくあら)の花は、花を咲かせるまでに恐ろしく手間(てま)のかかる花だった。病気にも害虫にも弱く、他の花々との生存競争に(やぶ)れてしまうこともしばしばだった。冬を()さねば花が咲かないというのに雪の重みに負けて駄目(だめ)になってしまうこともある。種を渡しても、育てるのを途中(とちゅう)であきらめ()らしてしまう人間が後を()たなかった。
「いいんです。あの種はそういうものですから。私達がわざと手を加えて無事に育つよう仕向(しむ)けたのでは意味がありません。それでは私の望む景色(けしき)は生まれませんから」
「……そうだったな。人間(ひと)が他者を思いやり、()がいを込めて育てた花がこの世界を()()くす――それが、お前の一番見たい景色なのだったな」
 花夜は微笑(ほほえ)んでうなずく。

 美しい景色を求めて旅をするようになってから幾月(いくつき)か後、俺は花夜に、どんな景色が一番見たいのかと(たず)ねたことがあった。花夜はしばらく(なや)んだ後、(くちびる)(ひら)いた。
『ただ美しいだけではなく、心があたたかくなるような、見ているだけで幸せになれるような景色が見たいと思います。人間(ひと)の優しい気持ちが形となったような景色が……』
 そう言いかけて、ふと手のひらの上の幸有(さくあら)の花の種に視線を落とし、花夜は素晴(すば)らしいことを思いついたというように顔を明るくした。
『そうです、私、この花がこの世界を()()くす(さま)を見てみたいです。(だれ)かに()()るようにと()がいを()めて名付けたこの花が、その名の通りに誰かに幸せをもたらしながら、この世界に広がっていく様子が見たいです』

「……そのためにお前はわざわざ種の一つ一つに、名付け通りの力が宿(やど)るように祈魂(ホギタマ)()めているのだからな」
「はい。とは言え、本当は私一人の祈魂(ホギタマ)では霊力(ちから)()りないのですが……。けれど、育てるのが(むずか)しい花を想いを()めて育てれば、きっとその想いが祈魂(ホギタマ)となり、私だけでは()りない分を(おぎな)ってくれると思うのです」
 あの時と同じ顔で、花夜は幸せそうに微笑(ほほえ)んでいた。
「私、今でも想像するだけで幸せになれるんです。(だれ)かを想って育てられた花が無事に育ち花開けば、それはこの世界の人々の心に優しさが()るという証拠(しょうこ)になります。この花が世界を()()くす(さま)を見ることができるなら、どんなに(いくさ)(あらそ)いの絶えない世の中であっても、人間(ひと)の優しさを信じられると思うんです」
 花夜の語るそれは、途方(とほう)もない夢想(むそう)に思えた。だが俺はその夢を無謀(むぼう)と笑うことはできなかった。(かな)わぬ夢物語だと頭では思っても、その光景を思い描けば俺の胸も不思議(ふしぎ)なほどに(ふる)えた。その景色を、俺も実際にこの目で見てみたくなった。だから俺は、花夜のその夢に協力することにした。
 それ以来俺達は、時折茨蕀置(うばらき)の森に寄って幸有の種を補充(ほじゅう)しては、それを旅の途中(とちゅう)に立ち寄る(むら)や里に置いていくということを続けてきたのだ。
「しかし、こんな(ふう)にずっと旅を続けていて良いのか?そろそろ一ヶ所に落ち着きたいとは思わぬのか?俺の気持ちを気にして遠慮(えんりょ)することはないのだぞ」
 (あらた)めて問うと、花夜はなぜかやや気まずげな表情で沈黙(ちんもく)した。それからちらりと俺を横目で(うかが)った。
遠慮(えんりょ)などしていません。もちろん、いつかは何処(どこ)かの国や里に留まり、ヤト様の祭祀(さいし)を次の代へ引き()いでいくべきだということは分かっています。……でも、今はまだ、こうしてヤト様と二人だけで(・・・・・)旅をしていたいのです」
「そうか。ならば良いが」
 その返答に、花夜は再び沈黙(ちんもく)した後、わずかに(ほお)をふくらませた。
「……分かっていらっしゃいませんね。私の言うことの意味を」
「何が分かっていないと言うんだ?」
 問い返すと、花夜は小さくため息をついた。
「ヤト様はお気づきではなかったようですが、私は気がついていました。あの(むら)の若い少女達が、ヤト様のお姿にうっとりと見惚(みと)れていたのを。年頃(としごろ)の少女がヤト様のお姿に目を(うば)われるのは仕方(しかた)のないことですが、内心(おだ)やかではいられませんでした。つまりは私も、あまりあの(むら)が気に入ってはいなかったということです。……巫女としてあるまじき思いだと分かってはいますが……」
 言いながら俺を見つめる花夜の瞳は、どこか熱を()びて(うる)んでいた。口にしない想いに、どうか気づいて欲しいと懇願(こんがん)するような瞳だった。
 花夜が俺に向ける想いに、この時、俺はもう気づいていた。だが、打ち明けられないのを良いことに、それがどんな種類のもので、どれほどの想いなのか、深く考えることを無意識に()けていた。それが何故(なぜ)なのか、今ならば分かる。俺は、花夜との関係が変わるのを(おそ)れていたのだ。
 神と人間(ひと)との恋は、べつに禁じられたものではない。神が人間(ひと)の女を妻とした例は過去にもある。だが、神の妻になるということは、花夜から人間としての平凡な人生を(うば)ってしまうことに他ならない。神と人間とは生きる速度も生死の(ことわり)も何もかもが(ちが)い過ぎる。人間として()けられぬ老いと、不老不死の神の生命(いのち)()の当たりにした時、そして、いずれは必ず(おとず)れる別れの時、花夜は、そして俺は、この恋を後悔(こうかい)せずにいられるだろうか……そのようなことばかり考えて、結論を先延(さきの)ばしにしていた。
 そのように深く思い(なや)むくらいに、俺の心は(すで)に花夜に(とら)われていたというのに……。
「あ……」
 花夜が小さく声を上げた。気づけば俺達は岐路(きろ)にさしかかっていた。東の霧狭司(むさし)へ通じる道と、南の峻流河(するが)へ向かう道だ。俺が何かを言うより早く、花夜が決意を秘めた眼差(まなざ)しで口を(ひら)いた。
「あの……霧狭司へ行ってはいけませんか?」
 それは(むら)での酒宴(しゅえん)の時から、何となく予想のできていた言葉だった。
霧狭司(むさし)、か。お前、今まであの国を()けてきたのではなかったのか?」
「はい。私にとってあの国は、あまり良い気持ちを持てる国ではありませんから。けれど、そうして()けながらも、いつも心のどこかで、霧狭司国(むさしのくに)のことをもっと知りたいと思っていました。どうしてあの国は、花蘇利(かそり)(うば)ったのか、どうして、他と比べられないほど(はな)やかに(さか)えてなお、他国に手を出そうとするのか。そして、水神(すいじん)様ともあろう御方(おかた)が、それを見過ごされていらっしゃるのはどうしてなのかを」
「霧狭司へ行ったからと言って、それが分かるとは限らぬぞ」
「分かっています。それでも、一目(ひとめ)見ておきたいのです」
 花夜が何故(なぜ)、霧狭司国へ行きたがるのか、俺には分かるような気がしていた。
 俺達はどちらも、霧狭司によって大切なものを(うば)われ、心に深い傷を()わされた身の上だ。この傷をつけた相手と、もう(かか)わりたくない、名も聞きたくないという思いは確かにある。だがそれと同じくらいに強く、ある思いを(かか)えていた。
 俺達はなぜ、大切なものを奪われ、傷つかねばならなかったのか……相手が何を思い、何故(なぜ)あのような行為(こうい)(およ)んだのか、その理由を知りたい、と。
 問いただしたところで、満足な答えが返って来ないことなど百も承知(しょうち)だ。それでも、わずかな手がかりでも良いから理由が欲しかった。自分達の運命が、何の理由もなくただ無意味に狂わされたなどと思いたくはないのだ。
 俺は深々と吐息(といき)した。
「行くぞ、花夜」
 言いながら、峻流河の方角へ(・・・・・・・)と足を()み出す。花夜はそれを見てがっかりしたようにうなだれた。
「やはり、霧狭司(むさし)へ行ってはいけませんか。そうですよね……」
「いや、いけないとは言っていないが」
「え?でも、そちらの方角(ほうがく)は……」
「お前、わざわざ道も無い千々峰(ちちぶ)の山を行く気だったのか?ここは一旦(いったん)、道の(ひら)けた峻流河(するが)へと南下(なんか)し、(みなと)から海路(かいろ)で霧狭司へ向かった方が楽ではないか」
「ヤト様……」
 花夜の顔が明るく輝く。
「見たいと言うならば気の()むまで見ればいい。ただし見る(・・)だけだ。宮処(みやこ)を見たら、すぐにでも引き返すぞ。あの国に長居(ながい)するのは危険だからな」
 この時、俺は本当に、霧狭司国(むさしのくに)宮処(みやこ)をほんの少し見て、すぐに引き返すつもりでいた。元々、宮処(みやこ)へ行っただけで花夜の欲しがる答えが()られるなどと本気で考えてはいなかった。ただ、わずかでも花夜の心のわだかまりが晴れればそれで良いと、そのくらいの気持ちでいたのだ。
 どれほど()やんでも、時間(とき)が戻ることはない。そのことは痛いほど承知(しょうち)している。だが俺は、この時間(とき)に戻ってやり直したいと何度()がったか分からない。
 俺達は、何があっても霧狭司(むさし)に足を()()れるべきではなかった。そして俺は、花夜の想いに対する答えを、先延(さきの)ばしになどするべきではなかった。()ばした先に時間が残されているかどうかなど、(だれ)にも分からないと言うのに……。

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歴史系ファンタジー花咲く夜に君の名を呼ぶ
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