第四章 棄てられた姫


「我が使(ツカイ)達よ、行け。我が目となり、辺りを探れ」
 国府のそば近く、敵方に気取(けど)られぬよう木の(かげ)に注意深く身を潜め、俺は神使(カミツカイ)(ヘミ)達を()び出した。周りの草野(かやの)から白い(ヘミ)たちが無数に()き出し、するすると国府の塀をすり抜けていく。
 俺はそれを見届けると(まなこ)を閉じた。視界が一瞬闇に染まった(のち)、すぐに別の景色に切り替わる。
 神使の蛇たちと俺との間には『(タマ)()』と呼ばれる霊力で紡いだ糸が結ばれている。目を閉じればその糸を通して、神使の眼に映るものが俺の頭の中に映し出されるのだ。
 (なづき)に浮かぶその景色の中には、(くろがね)小札(こざね)(つら)ねた(よろい)に身を包む(いくさのきみ)や大刀を手にした兵士(いくさびと)達の姿が数多く在った。
国庁(くにのまつりごとどの)の周りはやはり兵士の数が多いな。突破するのは容易ではあるまい。どこか見張りの手薄な所は無いものか……」
 幾匹もの神使たちの視界を転々と渡り歩き、国府の中を(さぐ)る。隣にいるはずの花夜は俺が声に出して状況を伝えてもほとんど言葉らしい言葉を返すことなく、時折申し訳程度の相づちを返してくるのみだった。悲壮なまでに張り詰めた花夜の気配を肌で感じながら、俺は神社(かむやしろ)の方角へ向かった神使の一匹へと意識を合わせた。
「ん……?」
 脳裏に映るその景色に、思わず疑問の声が洩れる。
「どうかなさいましたか?ヤト様」
「……妙だな。神社へ向かう道だというのに、兵士の姿がまるで見えない。どういうことだ?」
 神社と言えば、国庁と並ぶ国の中枢のはずだ。その周りに見張りを置いていないなど有り得ない。
 (いぶか)りながらも俺は神使を神社の内部へと(つか)わした。
 神社を囲む二重(ふたえ)空堀(からぼり)の先には(いびつ)な円を描く塀が、そしてその更に先には幾つもの建物が立っていた。塀の外を見張るための物見やぐらに、神宝(かむだから)を収めているであろう高床の倉、そして中央には長い梯子(はしご)を入口に架け渡した三層の(たかどの)があった。
 高い(かけはし)すなわち『高橋』が架け渡されているのは、それが神を祭祀(まつ)る建物である証だ。俺は迷わず神使をその(たかどの)へと向かわせた。
 だが(たかどの)辿(たど)り着く寸前、視界に映ったあるもの(・・・・)に俺は意識を囚われた。
「花夜、お前、最近(やしろ)の庭で祭祀(マツリ)をしたか?」
 思わず傍らの花夜に問う。
「いいえ。そもそも花蘇利には社の庭で行う祭祀などございません」
「ならばあれは、八乙女の立てたものか?(たかどの)の前に神籬(ヒモロキ)があるが……」
 そこに()ったものは、四本の柱と注連縄(しめなわ)で作られた結界と、その内に置かれた八脚(やつあし)(つくえ)。それは屋外で祭祀(マツリ)を行う際の仮初(かりそめ)祭壇(さいだん)だった。ただしそれは通常の神籬(ヒモロキ)と異なり、木綿垂(ゆうしで)を付けた常緑樹(ときわぎ)が飾ってあるべき(つくえ)の上には、その代わりのように(ひさご)の葉を浮かべた水盤(すいばん)が置かれていた。
「ん?()の葉……?まさか……!」
 その刹那(せつな)、俺の頭に神使を通してびりっと(しび)れのようなものが走った。霊異(くしび)の気配だ。
「まずい!引き返せ!」
 (タマ)()を通じて即座に命じるが間に合わず、神使の目の前でぶわりと水盤の水が盛り上がった。それは瞬く間に透き通った蛇の姿に変化し、神使に襲いかかってくる。水の精霊(すたま)水霊(ミヅチ)だ。
 激しい水飛沫(しぶき)が上がった直後、再び視界が闇に転じる。俺は(まなこ)を開き、(うめ)くように(つぶや)いた。
「……やられた」
「え?『やられた』とは、如何(いかが)なさったのですか?ヤト様」
「神使の一匹を水霊に捕らわれた。そうか。兵士(いくさびと)が一人もいないのはこうした(わけ)か。兵士など置かずとも、八乙女(やをとめ)霊力(ちから)だけで充分なのだ」
 血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「花夜、今すぐ俺のそばから離れろ!……いや、ここで一人にさせるは、かえって(あや)ういか。しかし……」
 考えもまとまらぬままに、とにかく花夜だけは逃がそうと俺は必死に怒鳴る。だが花夜は当然のことながら戸惑うばかりだった。
「何を(あせ)っておいでなのですか、ヤト様。何故(なにゆえ)、離れろなどと(おっしゃ)るのですか?」
「とにかく行くぞ!少しでも神社から距離をとらねばならぬ」
 俺は花夜の手を取り立ち上がらせると、すぐに茂みを()き分け、森の奥へと駆け出した。花夜は何も分からぬまま、それでも黙って俺について来る。だが、ただでさえ長旅で疲労している上、岐神(クナトノカミ)との闘いの傷も()えてはいないのだ。花夜は次第に息を荒くしていき、ついには足をもつれさせ、地に転がってしまった。
「花夜!」
「大丈夫、です……。先へ行って下さい」
「何を言う!お前、(ひざ)が震えてまともに立てていないではないか!」
 俺は己の不甲斐(ふがい)なさに歯噛(はが)みした。いつもそうだ。精霊(すたま)だったあの頃も、神となってからも、俺は(ただ)一人の人間すら守りきれていない。
 俺はその場に腰を(かが)め、()り傷だらけの花夜の手当てを始めた。
「すみません。私がもっとしっかりと走れれば……」
「お前が謝ることではない。悪いのは俺だ」
「あの、私には未だ分からぬのですが、何故(なにゆえ)逃げねばならぬのですか?」
神使(カミツカイ)の一匹を捕らわれたと言ったであろう。神使と俺は(タマ)()で結ばれているのだ。それはすなわち……」
「すなわち、魂の緒を辿(たど)れば、その主の元へ行き着けるということ」
 ふいに凛とした声が森に響いた。ぎょっとして振り返ると、そこにはいつの間に現れたのか、一人の巫女の姿があった。つややかな黒髪を頭上高くから結い垂らし、白い上衣(うえぎぬ)と燃えるような深紅(こきくれなゐ)()に身を包んだ、年の頃十七、八と(おぼ)しき巫女だ。その手には、(ひさご)(つる)で全身を(しば)り上げられた、俺の神使の一匹が(にぎ)られていた。
「そなた達ですね。この白蛇を神社に(はな)ったのは」
 巫女は音も無くこちらに歩み寄って来る。兵士(いくさびと)の一人も連れていないというのに、こちらを恐れる様子など全く無く、それどころかその顔にはどんな表情も浮かんではいなかった。無駄(むだ)な動きが一切無く、感情ですら表さないその様は、生きている人間のものとは思えず、まるで神か精霊(すたま)か、あるいはよく出来た人形(ひとがた)でも目にしているかのような不気味さを(かも)し出していた。
「……あなたは、霧狭司国(むさしのくに)の八乙女の一人ですね」
 花夜が警戒心も(あらわ)に問う。目の前の巫女が相当に高い身分を持つ姫であることは、その身につけた(あざ)やかな裳の色からも明らかだった。『(くれなゐ)八入(やしお)』と呼ばれるその色は、高価な紅花を()しみなく使い、更にその染汁(そめじる)に何度も何度も数えきれぬほど(ひた)し入れねば出せない。花夜が身につけていた裳のような、(あかね)で染める茶色がかった緋色(あけいろ)とは根本からして違う、(ぜい)と手間を()くしたものなのだ。
 巫女は花夜の問いにほんのわずか、美しい眉をひそめた。
「自らは名乗らず、私に名乗りを求めるのですか。まあ、良いでしょう。たとえ礼を欠いていようとも、問われたからには答えて差し上げます。私は水響(みづとよ)む霧狭司国の八乙女が一人、雲箇(うるか)。国を治める二十一氏族が一つ、葦立氏(あだちうぢ)の姫。そして霧狭司の国王(くにぎみ)の命により遣わされた、花蘇利国(このくに)の新しき社首(やしろおびと)です」
 それは彼女の姿を見た瞬間から予想できていた言葉だった。だがそれでも、その言葉が花夜に与えた衝撃は測り知れない。
 花夜は凍りついたように雲箇を見つめ、一瞬その身をふらりと(かし)がせた。だがすぐにハッとしたように表情を改め、胸を張り、雲箇に対抗するように名乗りを上げる。
「私の名は花夜。ヤトノカミの巫女にして、千葉茂る花蘇利国、萱津彦(かやつひこ)の娘です」
 その座を奪われ、もはや社首と名乗ることはできなくとも、それは精一杯の矜持(きょうじ)と威厳に満ちた、堂々とした名乗りだった。その名乗りに雲箇(うるか)は一瞬、虚を突かれたように言葉を()くした後、怪訝(けげん)そうに問い返してきた。
「まぁ。ではそなた、国を追われた(さき)社首(やしろおびと)ではありませんか。何故(なにゆえ)、今更ここへ戻って来たのですか?」
 その言葉に、花夜は信じられぬと言うように目を見開く。
「国を追われた?何ですか、それは。私は知りません。だって私は、花蘇利に鎮守神(ちんじゅがみ)をお迎えするために旅に出されたはず……」
「これはまた異なことを。花蘇利国は自ら霧狭司の前に(ひざ)を折り、水神(みづかみ)様の加護の下に入ることを決断したのです。それなのに、わざわざ危険な勧請(カンジョウ)の旅に姫を(つか)わすなど、有り得ぬではありませんか。そなたは()てられたのです。新しき神の祭祀(マツリ)を広めるにあたり、古き祭祀(マツリ)の象徴など不要。新しき社首を迎え入れるにあたり、前の社首を始末(・・)するのは当然のことではありませんか」
 ひどく残酷な言葉を、雲箇は表情一つ変えずに告げる。花夜はそれを否定するように激しく首を振った。
「そのようなこと、(いつわ)りです!だって(しし)さまは、旅立つ私の頭を()でて『()()』って言ってくれました!旅の無事を祈ってくれました!なのに……それが(いつわ)りだったなんて、そのようなこと、あるはずが……」
 必死に叫びながらも、花夜は自分で自分の言葉を信じきれていないような、そんな目をしていた。
「……仕方がありません。信じられぬと言うならば、その目と耳で確かめるが良いでしょう。水神(みづかみ)様の治める地に招かれざる神を引き入れた罪は、本来ならば死に(あたい)するところですが、いたづらに死人(しびと)を出し(けが)れを生んでは、私の霊力(ちから)(さわ)りが出ますゆえ」
 どこまでも勝手なその物言いに、俺は雲箇()めつけた。だが、それ以上どうすることもできなかった。雲箇の後ろには水神がついている。到底俺の(かな)う相手ではない。
 花夜は迷うように視線を彷徨(さまよ)わせた後、覚悟を決めたように(うなづ)いた。
「分かりました。会わせて下さい、父さまに」

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倭風(和風)ファンタジー花咲く夜に君の名を呼ぶ
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