第十三章 花の(その)に眠る少女(おとめ)

 それからしばらくのことは、自分でも何をしていたのかよく覚えていない。喪失の痛みを()めることもできぬまま、ただ、あてもなくあちこちを彷徨(さまよ)っていた。
 時折は知人に会うこともあったが、皆、俺の死んだような瞳を見ると困惑したように口を(つぐ)み、言葉(すく)なに去っていく。だが、()の女神だけは違っていた。
「お久しぶりですわね。今は『夜刀神(ヤトノカミ)』と名乗っているのですって?」
 髪や瞳の色を変え、人間(ひと)のふりをして訪れた(とうげ)の茶店。そこで偶然(ぐうぜん)再会した()の女神は、そう言って妖艶(ようえん)に微笑んだ。
天探女(あまのじゃく)か。何故(なぜ)このような場所にいる?」
相変(あいか)わらず失礼な神ですこと。私が何処(どこ)にいようと私の勝手ではなくて?」
 俺のあからさまに邪険な態度に眉をひそめながらも、天探女(アメノサグメ)は勝手に俺の隣に腰掛け、茶飲み話を始める。
「私もあなたと同じですのよ。これまで(ちぎ)りを()わしていた男巫(オカンナギ)()ってしまったものですから、あてのない旅をしている最中ですの。人間(ひと)に化けてあちこちの国をのぞいて、新しい(カンナギ)でも探そうと思っていますのよ」
「……新しい(カンナギ)、か。よくもまあ、そう容易(たやす)く切り替えられるものだな。その死した男巫(オカンナギ)に対して情は無いのか」
「情なら彼が生きているうちに、たっぷりかけてあげましたわ。ですから死した後に()いや未練を残したりはしませんの。だいたい、私が薄情なのではなくて、あなたが情に厚過ぎるのですわ。百年余りもの間、たった一人の巫女に縛られて……。おまけにその名も、巫女の名から一字を取っているのですって?よくもまぁ、そこまで人間(ひと)に思い入れられるものですわ。今もこれからその巫女に会いに行くところなのでしょう?」
「会いに行く……?」
 問いの意味をつかめず()き返すと、天探女(アメノサグメ)はきょとんと目を見開(みひら)いた。
「あら、違いますの?あなたの巫女が眠っているのはこの近くの山の中なのではなくて?あなたの慟哭(どうこく)がそれはそれは激しく長く響き渡っていたせいで、この辺りの神々や木霊(コダマ)達には有名な場所ですのに」
「……そうか。ここはあの場所の近くなのか」
 花夜(かや)(うしな)って以来、俺はあの花園に一度も足を踏み入れていなかった。この時、いつの間にか花園の近くまで来ていたことも、天探女に言われて初めて気がついたほどだった。
(あき)れたものですわ。それほど大切にしている巫女の元へ、一度も足を運んでいないだなんて。そんなに、思い出すのが(つら)いんですの?」
 俺は答えず、無言で茶をすする。天探女は大袈裟(おおげさ)なため息をついた。
「とにかく、一度くらいは会いに行っておあげなさいな。胸の傷が痛むからと言って、あんな人も訪れないような寂しい場所に(ほうむ)ったまま、会いにも行ってあげないようでは、あの巫女も(かな)しみますわよ」
 花夜が哀しむというその一言が、俺の胸に突き()さった。
 こうして俺はあの日以来、初めてあの花園に足を踏み入れることとなった。
 季節は春。(がけ)の上にある花園からは美しい花びらがひろひろと、空を舞う(ちょう)のように風に運ばれて来る。
 俺はそれを見るともなしに(なが)めながら、なかなか花園へ入るふんぎりがつけられずにいた。あの場所に再び立てば、あの日の悲しみが生々しく(よみがえ)ってくるような気がして、恐ろしかった。
 だがその時、そんな俺の逡巡(しゅんじゅん)を吹き飛ばすかのように、幼い声が響いた。
「たす……けて……っ。だれかっ……!」
 ぎょっとして見上げると、花園へと(いた)る崖の途中、年の頃八つか九つほどの童女(どうじょ)が一人、岩にしがみつくようにしてぶら下がっていた。
「何をやっているのだ!」
 俺はすぐさま崖を登り、童女を助ける。俺に(かか)えられて崖を下りた童女は、深々と頭を下げて礼を言ってきた。
「どうもありがとう、お兄さん」
「お前、何故(なぜ)あんな場所にいた。落ちたらただでは()まん所だったぞ」
「あの……。この崖の上から、毎年すごくきれいな花びらが飛んで来るんです。だから、どんな花なのかどうしても気になって、(たし)かめてみたくなって……」
「それで崖を登る途中、足を踏み(はず)してぶら下がっていたということか。そうまでして見てみたいほど綺麗な花びらなのか」
「はいっ!まるでお空を(ころ)がっているみたいにひらひらしてて、その裏に表に風にひるがえる様子が、まるでお日様を()びてきらきら(またた)いているみたいに見えて……まるで冷たくない雪みたいで、見ていると心がふわぁーっとあたたかくなるんです。すごく、幸せな気持ちになるんです!」
 瞳を輝かせて言う童女に、俺は気まぐれに問いかけた。
「ならば、見せてやろうか」
「え……?」
「俺が崖の上まで連れて行ってやろう。どうだ?行ってみたくはないか?」
 今にして思えば、(ひと)りで立ち入るのが(つら)いこの場所に、誰か一人でも別の人間がいれば気が(まぎ)れると、そういう気持ちがあったのかも知れない。
「はいっ!」
 童女は満面の笑みで(うなず)く。俺はその幼子(おさなご)を背負って崖を登り、百数十年ぶりに花園へと足を踏み入れた。
「うわぁー……。すごい!やっぱり、きれい!こんな花、見たことない!」
 童女は歓声を上げ、花園を走り回る。俺は呆然とその光景に見入った。
 崖を登りきった途端(とたん)目に飛び込んできたのは、(たけ)の低い花々の中にあって一本だけ、高く(てん)へと伸びた花の木だった。
 ちょうど花夜の身を埋めた辺りに、墓標(ぼひょう)のように立つその花は、俺にとってあまりにも見覚(みおぼ)えのあるものだった。
「この花、何という名前の花なんでしょう。お兄さんは知っていますか?この花の名前を」
 無邪気な声に、俺は(ほう)けたまま答えを返す。
「この花は、幸有(さくあら)の花。誰かの幸せを()がう人間(ひと)の優しさを(かて)として育ち、見る者全てに幸を与えてくれる花だ」
 童女はきょとんとした顔で俺を見上げ、舌足らずな声で花の名を繰り返す。
「さく…ら……?」
 薄紅色(うすべにいろ)の淡い花びらが、雪のように()(そそ)ぐ。
 名付けた者の()がいをそのまま表したかのような、あたたかく、優しい花びらだ。その花吹雪(はなふぶき)に包まれて、俺は、()えない誰かの腕にあたたかく抱きしめられているかのような錯覚(さっかく)(おぼ)えた。
「あれ?お兄さん、どうしたの?」
 泣きそうで泣けない俺の顔を、童女が不思議そうに(のぞ)き込む。俺は答えず、花を見上げたまま童女に問いかけた。
「お前、この花が好きか?」
「え?はい。好きです。すごく、きれいだから」
「ならばお前に、この花の種をやろう。今は持っていないが、俺は毎年必ずここへ来ることにするから、その時にでも……」
 ――私、この花がこの世界を()()くす(さま)を見てみたいです。(だれ)かに()()るようにと()がいを()めて名付けたこの花が、その名の通りに誰かに幸せをもたらしながら、この世界に広がっていく様子が……。
 いつかの花夜の言葉が、胸の中で蘇る。
「広めてくれ、この花を。いつかこの世界を、この優しい花で埋め尽くせるように……」
 
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