第十二章 嵐の果て

 屋根はあちこち(やぶ)れ、庭園には(どろ)()まり、すっかりみすぼらしくなった宮殿に女神を(ともな)()り立つと、すぐに海石(いくり)が走り()ってきた。
泊瀬(はつせ)様!泊瀬様は御無事(ごぶじ)ですか!?」
 女神の(うで)()かれ力無く(ひとみ)を閉じている泊瀬に気づき、海石の顔は蒼白(そうはく)になる。
「大事無い。気を失っておるだけだ」
鎮守神(ちんじゅしん)様……。元の御姿に戻られたのですね……」
 女神の言葉に海石は安堵(あんど)の息をつき、視線を俺達の方に移した。
「花夜姫!大丈夫(だいじょうぶ)なのですか?お顔の色が(すぐ)れませんわ」
「大丈夫です。……少し、(つか)れてしまっただけです。それよりも海石姫。何だか、宮殿内の雰囲気(ふんいき)不穏(ふおん)な気がするのですが……」
 俺の背から()りようとする花夜に手を差し()べながら、海石はその頬に皮肉(ひにく)な笑みを浮かべた。
「……ええ。嵐が(しず)まった後、この(さわ)ぎの原因を求めて多くの人が集まって来たのですわ。葦立(あだち)氏の(たくら)みは今や宮殿中の知るところとなり、皆がその罪を糾弾(きゅうだん)しているところですの」
 海石の言う通り、そこには俺達が飛び立つ前にはいなかった多くの人々が集まっていた。葦立氏はその中で一箇所に集められ、周りを他の氏族に囲まれてうなだれている。宮殿には彼らを非難(ひなん)し、侮蔑(ぶべつ)し、罵倒(ばとう)する声が満ちていた。
 女神はその様子に一瞬(まゆ)(くも)らせたが、すぐに毅然(きぜん)とした顔で泊瀬を抱いたまま()を進める。
 人々は女神に気づくと一斉(いっせい)口唇(こうしん)を閉ざし、その場に平伏(へいふく)していった。
「……(みな)の者、迷惑をかけたな。(あやま)って()むこととも思えぬが、せめて謝罪(しゃざい)をさせてくれ」
 女神が謝罪の言葉を口にすると、人々の間から恐縮(きょうしゅく)するような声が上がった。
「もったいないことでございます!そもそもこの(たび)(さわ)ぎは、葦立氏が泊瀬王子(はつせのみこ)(しい)(たてまつ)ろうとしたことが発端(ほったん)。鎮守神様の罪ではございません!全ての(とが)は葦立氏にあります。鎮守神様、どうかこの者共(ものども)(ばつ)をお与え下さい!」
 人々は口々に葦立氏への断罪(だんざい)を求める。女神は再び(かな)しげに眉を曇らせた。
「……相変わらず(みにく)いものだ。何か事が起これば嬉々(きき)として(たが)いを断罪し合う。この宮殿の者共は全く、哀しいくらいに何も変わらんものだな。……ここにいるのは皆、大なり小なり何らかの罪を(おか)してきた者ばかりだろうに」
 皆一様にうなだれ、身を(ちぢ)めている葦立氏の中にあって、雲梯(うなて)だけは己の状況も周囲の声も我関(われかん)せずとばかりに笑う。その態度に周りを囲む男の一人が苛立(いらだ)ったように声を上げた。
「雲梯様。あなたはもう少し、今の御自身の置かれている立場をお考えになった方がよろしいかと(ぞん)じますが。王太子と言えど、泊瀬王子(はつせのみこ)弑逆(しいぎゃく)(くわだ)てに加担(かたん)なされた罪は重大ですぞ」
 だが雲梯は(ひる)むこともなく余裕に()ちた表情で言い返す。
「お前達の方こそ、もう少し考えて物を言った方が良いぞ。先ほどの私の言葉が(いつわ)りでないことは鎮守神様も(すで)御存知(ごぞんじ)だ。お前達の犯した“罪”は私の血を通して既に鎮守神様の知るところとなっているのだからな」
 その言葉に、ざわめいていた室内が再び一瞬にして静まりかえる。雲梯は女神に目を向け、大国の王太子にふさわしい優雅な()みで問う。
「さて、鎮守神様。我らへの罰はどのようなものになるのでしょうか?心優しきあなた様のこと、他の一族の罪も知りながら、我らだけを(ばっ)するような不公平なことはなさりますまい」
 女神はわずかに目を()らし、そっと()め息を(こぼ)した。
「……(わらわ)は初めからお前達を罰する気など無い。人間(ひと)の罪は人の間で(さば)くべきものと思っておるからな。いかなる罰を与えるかは、皆でよく話し合って決めるが良い。……必ず泊瀬を(まじ)えて、な」
 淡々(たんたん)と語るその声には、女神の(うれ)いの心がにじみ出ているかのようだった。海石(いくり)(かた)(ささ)えられた花夜(かや)気遣(きづか)わしげに見つめると、その視線に気づいた女神が(にが)微笑(ほほえ)む。
「心配するな。少々気の滅入(めい)ような状況ではあるが、このようなことで荒魂(アラタマ)になったりはせん。もう泊瀬にあのようなことはさせられんからな」
 他の者達に聞こえぬようひそりと(ささや)いて、女神は(うで)の中で眠る泊瀬の(かみ)をそっと()。それはまるで母が赤子に()れるかのような、心から愛しいものに触れているのだと傍目(はため)にも分かる、優しく慈愛(じあい)に満ちた手つきだった。
 その様子を、()()るように――どこか(くる)おしいまでの眼差(まなざ)しで見つめる者があった。執拗(しつよう)なその視線の(ぬし)は……魂依姫(タマヨリヒメ)雲箇(うるか)
 髪は(みだ)れ、衣裳(いしょう)(けが)れ、かつての(りん)とした姿が(うそ)のようにみじめな姿で葦立氏の中に座らされていた彼女は、突然(とつぜん)ふらりと立ち上がった。
「……鎮守神(ちんじゅしん)様。あなた様にとってその王子(みこ)は、一体何なのですか?」
 そのままふらふらと女神に(あゆ)み寄ろうとする彼女を、(みな)が制止しようとする。だが雲箇(うるか)が小さく祈道(キドウ)(ことば)(つぶや)くと、肩に羽織った領巾(ひれ)がふわりと揺れ、止めに入った人間のことごとくを風の霊力で()ぎ倒した。同時に雲箇の手を(いまし)めていた縄も鋭い風の刃に断ち切られてぱらりと地に落ちる。
魂依姫(タマヨリヒメ)を捕らえておきながら、神宝(しんぽう)を取り上げておかなかったのですか!?」
 海石(いくり)(まなじり)()り上げ、葦立(あだち)氏を取り囲んでいた人々へ向け非難の声を上げる。
「そうは言われても、実際に御神宝(ごしんぽう)を目にしたことのない我らには、どれが御神宝でどれがそうでないのかなど、分からんのだ……」
 (カンナギ)であれば特別な霊力の宿った神宝を見分けることなど造作(ぞうさ)も無いことだ。だがそもそも霊力を感じ取る能力を持たぬ俗人から見れば、それは単なる領巾(ひれ)としか思われなかったのだろう。
 致命的(ちめいてき)な失敗に、海石は苦々(にがにが)しげに(くちびる)()みしめた。
「……花夜(かや)姫、申し(わけ)ありませんが、しばらくここで我慢(がまん)していてくださいませ」
 一言(あやま)り、花夜の身を手近にあった厨子(ずし)にもたせかけると、海石は覚悟(かくご)を決めたような表情で雲箇の前に立ちはだかった。
「止まりなさい!葦立雲箇(あだちのうるか)!仮にも魂依姫(タマヨリヒメ)であるあなたが鎮守神様に刃向(はむ)かうなど、(ゆる)されることではありませんわ!」
「“魂依姫(タマヨリヒメ)”……。そうです。私は魂依姫。この国の筆頭(ひっとう)巫女なのです……」
 雲箇の瞳は海石を映しているようで、まるで映していない。その目はただひたすらに女神へと向けられていた。
「鎮守神様。何故(なぜ)私に目を向けてくださらないのですか?私は魂依姫。あなた様の筆頭巫女です。あなた様にとって、この国で一番大切な人物は、その王子(みこ)などではなく、この私ではないのですか?何故、私の鎮魂の祈りを聞き届けてくださらなかったのですか?何故、私を見てすらいただけないのですか?」
 そこにあったのは悲しみでも(なげ)きでもなく、ただ純粋な疑問の声だけだった。彼女は(いま)(おのれ)の立場を、己の所業(しょぎょう)を、疑ってすらいないのだ。
「あなた様にお(つか)えするためだけに、長年()くして(まい)りましたのに。この地位に(のぼ)りつめるために、多くの犠牲(ぎせい)を払って参りましたのに……。その王子(みこ)が、あなた様の御心を(まど)わせたのですか?その王子(みこ)さえいなくなれば、私に目を向けていただけるのですか?」
 言いながら、雲箇は(ふところ)に手を差し入れ、何かを取り出す。それは、別宮(べつぐう)の古墳の中で海石が落とした短剣だった。
「海石姫!」
 花夜が悲鳴のように名を呼ぶ。海石は青ざめながらもその場を退()かない。
葦立雲箇(あだちのうるか)!自分が何をしようとしているか、分かっているのですか!?」
「何ですか、その目は。私が正気ではないとでも言いたげですね。私はもちろん正気です。鎮守神様があのような、宮処(みやこ)騒動(そうどう)を起こすしか能のない王子(みこ)に御目をかけられるはずがありません。鎮守神様はきっと、何かおかしな霊力で(まど)わされているのです。あの王子(みこ)さえいなくなれば、御目を()まして頂けるはずです」
「あなたはまだ己の(あやま)ちに気がつかないのですか!?あなたのその地位は、あなた自身の努力や犠牲(ぎせい)ではなく、他人の犠牲や涙の上に成り立ったもの。そのようなものに意味があるとでも思うのですか!?」
 ()き親友を想ってか、雲箇をなじる海石の目には涙がにじんでいた。だが雲箇は己がなぜ責められているのか分からないとでも言いたげに(まゆ)をひそめた。
「何人もの人間で地位を(きそ)い合えば、(やぶ)れていく人間がいるのは当然のことではありませんか。力無きものが敗れるは世の摂理(せつり)。そうして敗れた人間が泣こうが命を落とそうが、自業自得(じごうじとく)。私には関係の無いことです。生き残りたければ、どのような手段を使ってでも力を手に入れれば良いだけの話ではありませんか」
 そもそもの物の考え方があまりにも(ちが)い過ぎる相手に、こちらの常識や道理(どうり)をただ()いて聞かせたところで通じはしない。――言葉の通じない相手というものは世の中に必ずいるものだ。そしてそれに気づかされた時、ほとんどの人間は、理解されるための努力や工夫(くふう)をしようと考えるより先に、絶望や焦燥(しょうそう)に目が(くら)んで何も考えられなくなるものらしい。
 海石もまた呆然(ぼうぜん)と目を見開(みひら)き、しばし言葉を失った。やがてその口元に、ひきつった()みが浮かぶ。
「……話になりませんわね。あなたにはきっと一生分かりませんわ。何故(なぜ)あなたでなく、泊瀬(はつせ)様が鎮守神様のご寵愛(ちょうあい)()たのかなど……」
 その皮肉を()びた眼差(まなざ)しに、雲箇の(まゆ)がぴくりと上がる。
「何ですか、その顔は。私がそこの王子(みこ)より(おと)っているとでも言う気ですか。……そう言えば、あなたはそこの王子(みこ)付きの宮女(きゅうじょ)でしたね。あなたもそこの王子(みこ)共謀(きょうぼう)し、鎮守神様を惑わせていたのでしょう。ならば今この場で、魂依姫たる私がその罪を(さば)いて差し上げます!」
 言うなり、雲箇は短剣を振り回し海石に(おど)りかかる。海石は悲鳴を上げ、間一髪(かんいっぱつ)(やいば)()けた。
()めよ!葦立雲箇(あだちのうるか)(わらわ)は惑わされてなどおらん!」
「いけません、鎮守神様!雲箇はあなた様のお言葉さえ耳に入る状態ではありませんわ!泊瀬(はつせ)様と共にお()げくださ……」
 海石が思わず背後(はいご)を振り返り、女神へ向けて(さけ)んだその時、再び雲箇が短剣を(かま)え飛び出してきた。だが海石は反応(はんのう)(おく)れ、すぐには動けない。
 ()けられぬ(やいば)がその身に()き立つかと思われた瞬間――二人の間に割り込んだ影があった。
「御二人とも、おやめくだ…………ッ」
 制止の声は途切(とぎ)れ、意味を()さない悲鳴に変わる。胸に(やいば)を受け(ゆか)(たお)れるその人影を、俺は信じられない思いで見つめた。
 呆然(ぼうぜん)と、ただ立ち()くすばかりだった自分のうかつさを、俺は(のろ)った。彼女(・・)がこんな場面を(だま)って見ていられるはずなどなかったのに……。
 ただ()()きを見つめるだけだった俺のそばで、彼女は自分の()すべきことを逸早(いちはや)(さと)り、ほとんど体力の残っていない身体(からだ)を強引に動かしてまで行動を起こしてしまって(・・・・・・・・)いたのだ。
「……花夜!」
 名を(さけ)び、()け寄る。花夜は苦痛に(うる)(ひとみ)で俺を見上げてくる。その(ころも)にはじわじわと血の()みが広がりだしていた。
「……何故(なぜ)です?何故、自分と関係の無い人間を救うために身を投げ出すのです?それが一体何になると言うのです……?」
 混乱(こんらん)動揺(どうよう)(ふる)える雲箇の(つぶや)きが背後に聞こえる。
「世の中にはそういう人間もいるということだ。そなたの知るものだけがこの世界の全てではない。自分に都合(つごう)の良い真実ばかりを受け入れて、それをこの世界の真理だと思い込もうとしたところで、世の中はいとも簡単に“それ”とはまるで(ちが)(ことわり)で動いていったりするものだ。……我々は鳥や(けもの)と違って、なまじ心が発達(はったつ)しているがゆえに、弱肉強食の摂理(せつり)だけでは生きていけない。強さや力が求められる世の中であっても、どこかで心を求めてしまう生物(いきもの)なのだ。そなたが弱さや偽善(ぎぜん)()き捨てて持とうとしなかったものを、この姫や泊瀬は(たし)かに持っているし、それゆえそなたは鎮守神様に御目をかけられることはなかった。そなたがいくら否定しようと足掻(あが)いたところで、その真実は変えられない。……一族の思惑(おもわく)により意図的(いとてき)に心を封じられ、情を(うば)われてきたそなたにとっては(こく)なことであろうがな……」
 雲梯(うなて)が雲箇へ向け(あわ)れむように、だがそれでいてどこか()(はな)すような口調(くちょう)何事(なにごと)か語りかけていたが、その時の俺にはどうでも良いことだった。
「花夜姫!」
 海石が涙目で花夜の(かたわ)らに(ひざ)をつき、胸に(しず)む短剣を引き抜こうと手を()ばす。だがすぐに女神に止められた。
「待て!うかつにそれを()いてはならん。下手(へた)をすれば血が()き出して、すぐに死に(いた)ってしまうぞ」
 女神は泊瀬の身を海石に(あず)け、花夜の傷口に手を当てた。女神の霊力が土に()()む水のように、花夜の身に(そそ)がれていく。花夜の顔から徐々(じょじょ)に苦痛の色が消えていくのを見て、俺はほっと息をついた。
 流血が止まったのを見計(みはか)らい短剣を引き抜いた女神に、俺は感謝の言葉を()べようと口を(ひら)く。だが、女神の浮かべる表情に気づき、その言葉を発することができなくなった。
「……すまん。(わらわ)にできるのはここまでだ」
 沈痛(ちんつう)面持(おもも)ちで(うつむ)く女神に、俺は上手(うま)く回らぬ頭で問いかける。
「何を言われるのだ?傷は()えたのではないのか?あなたの御霊力で」
 だが女神は首を横に振る。
(わらわ)は水を(つかさど)る神。妾にできるのは、血を止め、傷口を(ふさ)ぎ、体の中の水の流れを(あやつ)って苦痛を感じないようにすることだけだ。ここまで傷ついてしまった臓器を修復する能力は持っておらん。花夜姫の命は、あと半日と()たずに()きるだろう。……妾には最早(もはや)どうすることもできん」
「どうすることもできぬ、だと?何か手は無いのか!花夜は霧狭司国(むさしのくに)の民を(かば)って倒れたのだぞ!なのに……!」
「……やめて、下さい、ヤト様。それより……ここへ来て、手を(にぎ)って下さい」
 思わず激昂(げっこう)する俺に、弱々しく花夜が哀願(あいがん)する。その声に俺はハッと我に返る。他人を()めているような場合ではないと気づき、すぐに花夜の顔を(のぞ)()んでその手を(にぎ)った。
「花夜、花夜……っ。苦しくはないか?何か、して欲しいことはないか?」
「……苦しくは、ありません。ただ……何だか、ひどく(だる)いような、眠たいような気がして……目を開けているのが(つら)い、です……」
 途切(とぎ)れ途切れにそう言った後、花夜はひどく切実(せつじつ)な眼差しで俺を見つめた。
「ヤト様……、私を……どこか静かな場所へ、連れて行ってもらえませんか?……どこか、きれいで……二人きりになれる場所へ」
 そのささやかな祈言(ネギゴト)を、俺は何も言えぬまま受け入れた。どうにもならぬ喪失(そうしつ)の予感から、必死に目を()らしながら……。
 
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