「真大刀……」
無理矢理引きずり出されたその記憶は、時を
経ても
尚褪せることのない悲しみと怒りに
彩られていた。
何故
鉄砂郷や
真大刀が滅ぼされねばならなかったのか、あの時どうしていれば全てを
喪わずに済んだのか、未だに答えは見つけられない。この胸に渦巻く憎しみを、怒りを、
悔いを、
嘆きを、どこへ向ければ良いのか、そのやり場も分からない。行き場も無い感情の波は、ただ
渾沌として身の内を荒れ狂う。
「思い出したであろう?
人間というものが
如何に愚かなものであるかを……。見よ、汝の大切なものたちを奪った
霧狭司の
国人たちは、今も
己がことばかりを考え、醜く相争っておるぞ」
優しく
諭してでもいるかのような女神の声に、俺は
促されるまま、
眼を下へ向けた。
屋根の破れた
宮殿の内では、人々が俺たちの方を指差しながら、何事か言い争っている。その中には
溢れてくる水を避けようと、一人だけ
厨子の上に上がり、他の者を上がらせまいと
足蹴にしている者までいた。
「……何と愚かな。これが、
霧狭司国の
宮殿……。真大刀を、鉄砂の郷を滅ぼした、霧狭司国の……」
ざわりと
鱗が震えた。
霊がふつふつと
滾っていく。心が荒ぶっていくのが分かる。
「昔も、今も変わらぬ。
他人の命を命とも思わぬ
輩ばかりだ。
斯様な国など、滅びてしまえば良い」
その
昏い
呟きに、
泊瀬と
花夜がはっとしたように息を
呑む様が背中越しに伝わってくる。
「あなたまで、どうされたのだ!?ミヅハ様を
説き
伏せるのではなかったのか!?」
「ヤト様!
水神様のお怒りに引きずられてはいけません!ヤト様まで
荒魂となってしまわれては
駄目です!」
花夜の声に、俺はわずかに
己を取り戻す。だが
既に湧いてしまった怒りは、そう
容易く治まってはくれない。それは押し寄せる波のように、再び俺の心を
攫っていこうとする。
「……駄目だ。この怒りは
自らの力では
抑えきれぬ。このままでは俺は荒魂と化してしまう……!」
今にも溢れ出しそうな怒りや憎しみを必死に
堪えながら、俺は震える声を振り
絞り花夜に告げる。
「花夜……逃げよ!俺が俺であるうちに、
鳥羽の翼を使って逃げるのだ!」
だが花夜はその言葉を
直ぐに
拒んだ。
「行けません!そのように苦しんでいらっしゃるあなたを置いて逃げるなど、できるはずがありません!私は、あなたの巫女なのですから……!」
「
愚かなことを言うな!
荒魂と化してしまえば、俺だとてお前のことが分からなくなってしまうやも知れぬ。巫女だからとて傷つけられぬという
証など無いのだぞ!」
花夜を
一刻も早く逃がしたいという一心で、思わず
語気が荒くなる。だが花夜は
怯むことなく静かに言葉を返してきた。
「愚かなことではありません。ヤト様の
霊を
鎮めるのは巫女である私の役目。私はあなたの巫女で、あなたは私の神様なのですもの。これは他の誰にも
譲ることのできない私の
誇りなのです。ですから……」
言いながら、花夜は俺の背に
俯せるように身を
倒し、その両の
腕で俺の
躯を
抱き
締めた。ほわりとした
温もりが、背中から
伝わってくる。
「私を遠ざけないでください。あなたのその苦しみを、私にも
負わせてください。
独りでは抱えきれないその御心を、私にも分かち合わせてください」
言葉と共に優しい
霊力が、
触れ合った花夜の
身体を通して俺の中に流れ込んでくる。
五鈴鏡の中にわずかに残った
鳥羽の
霊力と、花夜自身の霊力だ。それがまるで母が我が子を優しい手で
撫でるかのように、荒ぶる
霊を
宥めていく。
「……何という、深いお悲しみとお
怒りでしょう……。このようなお気持ちを、あなたはずっと
胸の奥底に秘めていらっしゃったのですね……」
俺の
躯を抱き締めながら、花夜は悲しむように、あるいは
愛おしむかのように
囁きかける。
「いかん、花夜!
人間の身で神の怒りに触れるなど、
正気の沙汰ではない!
下手をすればお前まで
霊を狂わせてしまうぞ!」
花夜がその霊力を
介して俺の
霊の中の荒ぶる感情に“触れて”いることを
悟り、俺は
血の
気の引く思いで
叫んだ。
「いいえ。
大丈夫です。
荒魂になったりなど
致しません。私も、あなたも……」
霊に
渦巻く怒りや憎しみがどの
位のものなのか、己が一番良く分かっている。
御することもできぬほどのそれを、
霊力を
媒として
確と味わっているはずであるのに、花夜はその怒りに引きずられることもなく、
不思議なほど
穏やかに言葉を続ける。
「……ヤト様。私、前に
申し
上げたことがございますよね。どのようなものにでも
存在する意味があるのだと。“怒り”にもきっと、存在する
訳はあります。怒りは、
魂を
奮わせる力です。心をいつもの何倍にも強くし、困難に立ち向かうための
活力を与えてくれる
霊の働きです。ひどい
出来事に
遭って、怒りを覚えることそのものは、きっと悪いことなどではありません。当たり前のことなのです。大切なのはきっと、その怒りを
如何に使うかなのです」
「怒りを
如何に使うか……だと?怒りに
破壊の
外の使い
途などあるものか。俺の大切なものたちを奪った
霧狭司の
国人どもを
滅ぼさぬ
限り、俺の心は
晴れぬのだ……!」
「いいえ。それでは憎しみが
繰り返されていくだけです。あなたがなさりたいのは、真にそのようなことなのですか?あなたの大切なものを
奪った者たちと同じように、
誰かの大切なものを
奪い、あなたが憎んでいらっしゃるものと同じ存在となり
果てることが、真にあなたのなさりたいことなのですか!?」
俺の
霊に触れる花夜の
霊力が、ほんの
刹那、平手打ちでもするかのように
激しくなった。
その時、俺は雨の吹き
荒ぶ
空の中に
刹那の幻を見た。
それは
荒魂と化し、
躯中に
禍々しい
火群をまとわせ
猛り狂う己の姿だった。その
眸に宿るものは、人を人とも思わず、ただ
自らの心を
満たすためだけに破壊を
悦ぶ、おぞましい光だ。まるで俺が
嫌い
蔑む
霧狭司の姿そのもののような、変わり果てた俺の姿……。
「ねぇ、ヤト様……。その御力を、何かを滅ぼすために使う必要などありません。もっと
違うことに使って良いはずです。その御力があれば、ただ
一時の
憂さを晴らすことなどよりもっと素晴らしいことができるはずです。その御力があれば、きっと何かが変えられます。だから……その御力を、もっと違うことに使いましょう。
他人を傷つけて憎しみの
連なりを生み出すためではなく、ヤト様も私も、皆が幸せになれることに……」
俺の中で熱く
滾っていた荒ぶる
霊力が、花夜の
注ぎ
込む優しい霊力と
絡み合い、
溶け合い、あたたかな
迸りとなって
躯の中を
駆け
巡る。それは決して
嫌なものではなく、むしろ
火床の中で
熔かされ生まれ変わっていったあの時のような
心地良さを
伴うものだった。
それと共に、俺の
躯が
銀の
灯を
点したように輝きだす。目も
眩むほどの光の中、俺の
躯はゆっくりと形を変えていった。手足が
伸び、
鬣が
生え、
角の形も変わっていく。
「な、何だ!?何が起こっているんだ!?これは……この姿は……まさか、龍!?」
泊瀬の
慌てたような声を背に聞きながら、俺は
己が身に何が起きたのかをすっかり理解していた。
俺の
躯は
角の生えた
大蛇から、
銀の
鱗を持つ
龍へとすっかり形を変えていた。破壊へ向かおうとしていた俺の荒ぶる
霊力を、花夜が優しい霊力へと生まれ変わらせ、その霊力により俺は
蛇神よりさらに神としての格の高い龍神へと進化したのだ。
直後、俺の
躯の周りで白い光の羽根が
一斉に
舞い
散った。残り少なかった
鳥羽の霊力が
尽きた瞬間だった。
「
母さま……。
有難う」
花夜のか
細く
震える声が聞こえる。
「花夜……すまない。俺が
霊を荒ぶらせたばかりに、鳥羽の
霊力まで……」
「……いいえ。
遅かれ早かれ、こうなっていたのですもの……。ヤト様のせいではありません」
怒れる神の
霊に触れたせいか、花夜の声にはさすがに
疲れがにじみ、弱々しくなっていた。
「
大丈夫か?花夜姫……」
「ええ。少し、
疲れただけです。それよりも
泊瀬親王、次はあなたの番です。
水波女神を元に戻せるのは、きっとあなただけ……。難しいことを考える必要はありません。ただ、あなたの想いの全てを素直にぶつければ良いのです。私がヤト様に対してそうしたように……」
「……そうだな。分かった」
その声には先ほどまでの取り
乱した様はまるで無く、ただ深い決意が感じられた。
泊瀬はそれまで俺の身にしがみつくように
俯せていた身を起こし、女神へ向け声を張り上げる。
「ミヅハ様!どうか御心を
鎮めて下さい!これ以上
宮処を壊さないで下さい!」
女神はゆっくりと首をめぐらせて泊瀬を見た。
「泊瀬よ、
何故に宮処を
庇う?
親王としての
務めだと思ってか?宮処に住むのが
如何に身勝手で
情の無い者達か、
汝も知っていように。
汝や汝の母が
幾度命を狙われてきたか、
幾度悲しき目に
遭わされてきたか、我は知っておるぞ」
その言葉に、泊瀬はその出来事を思い出すかのようにしばし口を
閉ざした。だが彼はすぐに女神の言葉を
否定する。
「……
違います。俺は
親王の
務めだとか、そのような立派な理由であなたを止めたいわけではありません。この
宮処に住む民の全てを許せるような器の大きい人間でもありません。ただ俺は、あなたにもうこれ以上、
辛い思いをして欲しくないだけなのです」
「何を言うか。辛い思いなど、
疾うにしている。
斯様な思いをこの先せぬために、我はこの国を清めるのだ」
「違います!そのようなことをしても
辛い出来事はなくなりません!正気に戻ったあなたが、今までよりさらに罪を感じて辛くなるだけです!……たとえどのような不幸が
襲ってきても、変わらない人間は変わりません。前にあなたが
仰っていたように、罰を与えても心を改めない
罪人がいるのと同じことです。己のせいで起きた
災いでも、
他人のせいにして
嘆くような人間はいるのです。
人間の心の
愚かしさはきっと、多かれ少なかれ
誰もが
皆、持っているもの。一人一人が何とかそれを
克服して生きていくしかないのです。そしてその乗り越え方はきっと、人によって全く
違うのです。だから、このようなことしても意味なんてありません!俺たちはただ、地道に一人一人の心を変えられるよう
努め、そのようにして
世間を改めていくしかないのです!」
その叫びに、女神の
眸が心なしか哀しげに
潤んだように見えた。
「
汝のように熱い
志を持ち、地道に人々を変えようとした者は今までにもいた。だがいつの
時代も、そうして
世間を変えようと
足掻くのは、ほんの
一握りの人間ばかり。他の多くの者達は己や国の
在り方を変えることなど
露ほども考えておらぬ。そして一握りの人間の言葉や努力など、他の多くの
愚かな者達により
容易く
踏みにじられ、
握り
潰されてしまう。我はもう
幾度も見てきた。たとえ
幾年、幾百の
歳月を待ったとしても、
世間は変わったりなどせぬ。
最早、信じることにも望みを持つことにも
飽いた」
言って、女神は大きく
顎を
開いた。その
喉の奥から、
背筋が
凍りつくような
咆哮が
響き
渡る。そしてその呼びかけに
応えるかのように、
宮処の
端、土色に
濁った
霊河で、幾つもの
水竜巻が立ち
上った。それはまるで
鎌首を持ち上げる
幾匹もの
大蛇のようだった。
「
霊河よ、我が
従神たる
霊河比売よ、荒れ狂え。
荒河となり
宮処を打ち
壊せ」
「やめてくれ!ミヅハ様!」
泊瀬は
四つ
這いになり、少しでも女神の近くへ行こうと必死に俺の頭の方へと
上っていく。
「
頼む!この国を壊さないでくれ!このような国でも、このような
世間でも、俺は愛しているんだ!」
「
何故だ?何故、愛せる?今までに
幾度殺められかけたか分からぬと言うに」
「あなたがいるからだ!あなたが教えてくれたんだ!この世にも、生きていて良かったと思えることがあると。あなたが俺を愛してくれたから、俺もこの
世間を愛することができたんだ!そのあなたが、この国を壊してしまわないでくれ!」
「壊すのではない。一度
洗い
浄めるのだ。『たとえどのような不幸が
襲おうと変わらぬ人間は変わらぬ』と
汝は言うたが、それでも大きな災いには国を動かし、歴史を変えるだけの力がある。我はそれを知っておる」
「ミヅハ様……」
泊瀬の
唇から絶望の
呻きが
漏れる。彼はしばらく言葉も無く打ちひしがれたように俺の
躯に
突っ
伏していたが、やがて
覚悟を決めたように俺の首の上に立ち上がった。
「
泊瀬親王!そこで立ち上がっては
危険です!」
花夜が止めるのも
構わず、泊瀬は静かに女神に話しかける。
「――『
喪って初めて気づくような重大なものを失くして初めて、人間は目覚め、心を改める』。あなたはそう
仰いましたね。あなたは人間ではないし、俺があなたにとってそれほど重大なものなのかは分かりません。でも、この身があなたをその怒りや憎しみから
解き
放つための
贄となれるなら、
本望です」
「
泊瀬親王、何を……。まさか……」
花夜が気づき、止めようとする。だが
極度の
疲れで力を失った
身体は、泊瀬に近づくため俺の身の上を
這いずることもできない。
「ミヅハ様、今の俺が
在るのはあなたのおかげです。
宮殿の内という
狭い
世間しか知らなかった俺に、
夜毎いろいろなことを教えて下さった。悲しいことが起こると、共に泣いて
慰めて下さった。俺の人生は、あなたとの思い出でいっぱいだ。あなたに
辛い思いをさせずに
済むのなら、そしてあなたの身と一つになって終われるのなら、
悔いはない。だから……我が身一つを
贖物として、この国の全ての罪を
赦し
給え」
そう言うと
泊瀬は
幾歩か静かに下がった。そして
気合を
漲らせるかのような、あるいは恐れや迷いを無理矢理打ち消そうとでもいうかのような
雄叫びと共に、俺の
躯の上を背から頭まで一息に
駆け
抜ける。
「いけません……っ、
泊瀬親王……!」
花夜が悲鳴じみた声で名を呼ぶ。
だが、泊瀬の身は
既に
空を
跳んでいた。俺の
額を
蹴り、走ってきた勢いそのままに、女神の身を
目掛け
跳び上がる。そのまだ大人になりきれぬ小さな
身体は
緩やかな弧を
描き、
更なる嵐を呼ぶため大きく
開かれた女神の
顎の中へ
真っ
直ぐに飛び込んでいった。
「
泊瀬親王!」
花夜の悲鳴とともに、
派手な
水音が響いた。水で形作られた女神の
透き
通った
躯に、泊瀬の身が沈んでいくのが見える。その口から幾つもの
泡が
吐き出され、その顔が苦しみ
悶えて
歪んでいくのが見える。
「はつ……せ……」
女神の
碧い
眸が、
呆けたように大きく
見開かれる。その口から、再び声が
迸る。だがそれは嵐を呼ぶための
咆哮ではなく、
天地を引き
裂くかのように狂おしく、痛々しいほどに悲しい叫びだった。
女神の
躯を満たす水が、
沸き立つかのように激しく泡立ち、
震える。静かな
波模様のように綺麗に
整い
並んでいた
鱗も
歪に
逆立ち、
躯そのものも、まるで見えざる手で
粘土を
捏ねくり回してでもいるかのようにぐねぐねと
歪み、形を失っていく。
「
泊瀬……
駄目だ。死んではならぬ!我は、
汝に命を
捧げてもらいたいわけではない!我が……
妾が欲しいのは……!」
その時、幾百もの稲妻が
一斉に
天に
閃いた。
天地の全てが青白く染め上げられ、何も見えなくなる。地の果てまでをも
震わせるような
轟きに、他の何も聞こえなくなる。
やがて
眩しさに
眩んだ
眼がやっと慣れてきた時、そこには既に水の
躯を持つ龍の姿はなかった。激しい雨風も
何時の
間にか
止み、黒雲も少しずつ
薄らいでいく。そして水の龍が浮かんでいたはずの所には
一柱の女神の姿があった。
「
泊瀬、泊瀬……何と
愚かな子だ……。
妾を救うために命を捧げるなど……。それで妾がどれほど
哀しむか、
汝には分かっておらぬのか……?」
濡れ
漬ちたの泊瀬の身を
愛しげに抱き締め、はらはらと
涙を
零しているのは、
銀の
髪に
碧い
眸の女神――
水波女神。だがその姿は前に見た
女童の姿ではなかった。
「いや……
愚かなわけではないな。
汝は
妾に思い知らせようとしたのであろう?
人間の心を改めさせるために大事なものを奪う――それが
如何ほどに
人間の
情や命を
顧みない、身勝手で
酷い理屈なのかということを……。後になって目を
覚ましたところで、
喪われたものは
最早取り戻せはしない。そうして喪われてしまうものが、
如何ほどに
妾にとって、そしてこの
世間にとって、必要で、貴重で、かけがえのないものか知れぬと言うに……」
「……
水波女神……?」
花夜がおそるおそる呼びかけると、女神は泪に
濡れた目をこちらへ向け、
儚げに
微笑んだ。
「
最早案ずることはない。
妾の
魂は
和魂へと戻った。泊瀬のおかげでな」
泊瀬の顔を
覗き
込み白い指で優しく
頬を
撫でる女神の姿は、すっかり
大人の
婦女のものへと変わっていた。
一度荒魂と
化ったことにより、長き
歳月の封じられ失われていた
霊力が戻り、大人の姿を取り戻したのだ。
「
泊瀬親王は……!?」
「大事無い。気を失っておるだけだ。
妾が元に戻るのが今一歩でも
遅れておれば
危うかったがな……」
言って、女神は泊瀬の額に
濡れて
貼りつく前髪をそっと
掻きやる。
「水を通し、泊瀬の心が
妾に
伝わってきた。言葉を
拒む妾の中に、文字通り無理矢理飛び込み、その身の全てで想いをぶつけてきてくれた。今まであれほど
辛き日々を送ってきたというのに、この子の心には愛が
溢れている。
妾を、そしてこの
世間を愛してくれている」
女神は
泪を
拭い、
毅い決意を秘めた
眼差しで地を見下ろした。
「
汝がそれほどに愛し、
祈がうのであれば、
妾も
赦そう。この
世間を。汝が妾とこの
世間を愛してくれているように、
妾も
泊瀬の生きるこの
時代を愛している。
怒りを
覚えるものも多く、全てを
赦せるわけではないが、それでもせめて、愛せるものたちだけでも愛して生きていこう。愛するものがそこに
在ってくれるというだけで、
醜く
穢れた
世間でも美しく見えることがある。
斯様にして、少しずつでも、この
世間を愛せるようになっていけば良いのだな。
汝のように……」
雲間から、
金色の
比礼を
垂らしたように光が差し込んでくる。
天を
覆っていた雲も、まるで
澱んでいた水が洗い流されていくかのように風に吹き流されていく。雨風の
止んだ地の上を見下ろすと、そこには嵐の
名残りの
溜り
水が、鏡のように静かに
天の色を映していた。