鉄砂郷は
鯨鯢国の
国王が
大刀や
矛、
甲などの
戦の
器や
祭祀の
器など、様々な
金属の品を作らせるため、その道の
匠たちを
砂鉄や
鉄鉱のよく
採れる
地に集めて住まわせたのが始まりなのだと言う。その技は子や孫へと代々受け継がれ、
鍛冶の間での腕の競い合いなどによりさらに磨かれていった。今やこの郷で作られる武具は相当な
業物として
国内のみならず近くの国々にまで知れ渡っている。
真大刀はそんな
郷の
村下の子として物心ついた時から
鍛冶の
業に
携わってきた。その才は
鍛冶の神である
鉄砂比古にも目をかけられるほどで、それゆえ
齢十四にして大刀を打つことを許されていた。
だが、俺のような古びた大刀を
熔かし打ち直すことは、
砂鉄から作った
鋼で一から新たな大刀を打つよりも難しく、
鍛冶の腕が試されるものだと聞いていた。それゆえ俺は内心、不安に
襲われていた。鍛冶の神がついているとは言え、本当にあのような
童子に
任せておいて良いものなのかと。
「何だ?嫌に無口なのだな。
今更になって恐くなったのか?」
鍜治の場に入り神妙な気持ちでその時を待っていた俺に、からかうように真大刀が声を
掛けてきた。
『何を言うか。我は恐がってなどおらぬ。ただお前のような
童に我が打ち直せるものかと……』
言い返そうとしたが、その声なき声は
終いまで続けられることはなかった。
鍛冶の
束装に身を包んだ真大刀の姿が俺の
霊の
眼に映ったからだった。
「……どうした?私が何か
可笑しな姿をしているか?」
『……いいや。お前……そのような顔をしていたのだな』
襷で
袖を
括り上げた白妙の
衣褌に身を包み、ぼさぼさに乱れていた
髪を綺麗に整えた真大刀は、それまでとはまるで別の人間だった。整った顔立ちに
凛とした立ち姿、切れのある身のこなし――その
神さびた様は大国の
巫だと言われても信じてしまいそうなほどだった。
「……顔?……何だ、
齢に見合わず幼く見えるとでも言いたいのか?」
真大刀は俺の言葉を勝手に
勘違いし、勝手に気を悪くした。
「確かに顔や背丈は同じ齢の者たちに比べて幼く見えるがな、
腕の力ならば負けていないのだぞ。何せ
槌を上手く振るえるよう、物心ついた頃から
鍛えているからな」
そう言う真大刀の腕には、確かに一見
細身な
身体と
不釣合いなほど、しっかりと肉の
筋がついていた。
「真大刀、まだ育ち盛りだというのに腕の力ばかりを無理に
鍛えてはいけない。他の所もきちんと鍛えなさい。
斯様に己が考えだけで妙な鍛え方をしていると、かえって育ちが
遅くなりかねないのだからな」
後から入ってきた鉄砂比古が困ったような顔でたしなめる。
「鉄砂比古様!」
真大刀が目を輝かせる。鉄砂比古は俺の方に目を向け、心を
安らげようとするように
微笑んだ。
「案ずることはない。君のことは俺たちがきちんと生まれ変わらせてあげるから。心安らかに身を
委ねるが良い」
そう言うと、鉄砂比古は次の刹那にはもう
笑みを引っ込め、それまでとはまるで違う真剣な
眼差しで真大刀に向き直り、
告げた。
「では、始めようか」
その刹那、場の空気がぴりっと張り
詰めたのが分かった。
それからしばらくして、
大刀拵なども一通り全てが終わった時、俺は己の姿が前よりも
大分派手になっていることに気がついた。
「……
精霊の宿る大刀ゆえ、それなりの
拵を、とは確かに言ったが、これは少し派手過ぎではないか?」
鉄砂比古が困ったように鼻の頭を
掻いている横で、真大刀は俺をその手に高く
掲げ持ち、
惚れ
惚れと
見入っていた。
「何を
仰せになりますか、鉄砂比古様。このようなもの、派手のうちには入りません。地色は黒ですし、そこにごく
控えめに
金と
紅琉璃を散らしただけですよ」
「いや、地色がどうのという話ではなく、
飾りが少し
煌びやか過ぎないかということなのだが……。おまけに大刀の身には
金の
象嵌の
龍、
柄頭の飾りは“玉を
食む
双つの
龍”……龍が全て合わせて三頭とはな……」
鉄砂比古の言う通り、俺の
刀身には
金の
象嵌でそれまでは無かった龍の姿が描かれていた。そして柄頭の飾りには二頭の龍が玉を
食んでいるという
図柄の
透彫が施されている。
「
勘違いをなさらないでください。何も私は龍が好きだからという
訳で
拵を決めたわけではございません。龍を選んだのは、水の
眷属たる“龍”を守り
文様とすることで、水の
霊力の加護を得るためです。
戦場で長き
歳月に渡り戦の火を浴びてきたこの大刀には、火に属する
禍霊の力が息づきやすくなっておりますから」
踏鞴の“風”によって起こした“火”で
練り上げられる
鋼を元とする大刀には、そもそも風と火の
霊力が宿りやすい。大刀姿の俺が
花夜との
魂振で風や火を起こすことができるのもそれゆえだ。
真大刀はその火の
霊力が再び
禍霊となって
禍をもたらすことを恐れ、それを
相打ち消すために水の
眷属たる龍を守り文様として描いたのだと言い張った。とは言え、そこに彼の好みが
僅かほども関わっていなかったとはとても思えなかったが。
「……それは良いとしても、これからこの
霊をどうするつもりだ?
精霊の宿る大刀は使い手を自ら選ぶものだが、
斯様に
華やかな
拵では
並の
兵士にはやれぬぞ?」
『我は当分、
主など
要らぬ。
戦場に連れ出されるのはもう御免だからな。しばらくは身を休めさせてもらいたい』
「ならば、
鍛冶の神たる鉄砂比古様に
捧げられた
神宝ということにして、この郷に居てもらえば良いではありませんか」
「……俺は鍛冶の場と鍛冶の
器さえあれば良いから、宝なと要らぬのだが。……まぁ、良かろう。その
霊の意に
沿わぬ相手を主にして、また
霊が
歪んでしまっては困るからな……」
こうして俺は、
鉄砂郷に棲むこととなった。鍛冶の神に捧げられた宝の大刀とは言え、鉄砂比古は
社も持たず
鍛冶の場に
祀られているような神だったため、俺もまた鍛冶の場を
棲家とすることになった。
それゆえ、当たり前のことだが
日毎真大刀とは顔を合わせることになった。また、郷の中でも大刀に宿る
精霊の声を
聴く
霊力を持つ人間など真大刀くらいしかいなかったため、彼とは
自ずから
友人のような間柄になっていった。
真大刀の
偉ぶったような
振舞や
他人をからかうような口振りは相変わらずだったが、それさえも慣れてしまえば気にはならなかった。何より、それまで誰かと言葉を
交わし心を
通わすことなどなかった俺にとって、それはあまりにも目新しく、
些細な言い合いすら楽しく感じるほどだったのだ。
鉄砂郷での暮らしは、俺にとって生まれて初めての心安らげる日々――生まれて初めて幸せというものを知った日々だった。だがその穏やかな日々は、わずか
四年で失われることになる。