別宮『
荒水宮』は丘の林の中にひっそりと、
隠れるように建っていた。人が踏み固めたような細い道がかろうじて通ってはいるものの、行き
交う人間もまるで無く、ふいに林が
途切れて
塀と門が現れるまでは話を聞いていた俺でさえ宮の存在を疑ったほどだ。
「私は
霊河の大宮より
遣わされました
采女の
生井児と申します。別宮に祭られし神に
贖物を持って参りました。どうかお通し下さいませ」
偽名を名乗り、用意した割符を見せ、
海石は門前に立つ
衛士達へ向けてにっこりと
微笑みかけた。海石が言うには名の後ろに『
児』を付けるのが宮に
仕える女のならわしなのだそうだ。
衛士達は割符を
矯めつ眇めつして確かめた後、海石の背後に
控える
花夜と
泊瀬をちらりと
一瞥した。
ぎこちないながらも笑みを浮かべる
花夜とは対照的に、
泊瀬はぎくりとした表情で海石の後ろに身を隠す。あからさまに視線を
避けようとするその態度に、衛士の一人が
眉をひそめた。
「そこの采女、
何故顔を隠される」
「え……っ、その……」
あわてて弁解を
図ろうとする泊瀬を手で制し、海石は
動揺する様子もなく、ただその笑みにほんの少し苦笑の色を混ぜた。
「申し
訳ありません。その子は
郷から出てきたばかりで、まだこういう場に
慣れておりませんの。采女の中には多いのですわ。家の奥深くで大切に育てられ過ぎたために、
他人に顔を見られることさえ
恥ずかしがってしまう
少女が」
その言葉と表情は演技とはとても思えぬほどに自然で、衛士達も
納得したようにうなずいた。
「なるほど、一人だけやけに
垢抜けない娘がいると思ったが、そういうことか」
「ばか、言葉を
慎め。相手は氏族の姫君なのだぞ。聞こえたらどうする」
衛士達のささやきが耳に入り、泊瀬は顔をひきつらせた。
「
垢抜けない娘って……。いや、べつに
綺麗と思われたかったわけではないが……」
複雑な思いで肩を落とす泊瀬に、花夜がひそめた声で
慰めの言葉をかける。
「仕方がありませんよ。綺麗に着飾る技術というのは、本物の
少女でさえ毎日苦労するものなんですから。それに、私は
素朴で
可愛らしいと思いますよ、そのお姿」
「いや、だから
褒められてもうれしくないんだが」
すっかり海石を本物の使者と信じた衛士達は道を開けるように左右に分かれ、深々と頭を下げた。
「失礼
致しました。どうぞお通りください」
しかし海石は歩み出そうとはせず、手に持っていた
漆塗りの箱の
蓋を開け、衛士達に向け差し出した。
「これは衛士の皆様へ大宮からの差し入れですわ。いつも別宮の
警護をご苦労様です。今日もずっと立ち通しでお疲れでしょう。どうぞお
召し上がり下さいな」
箱の中に入っているのは、ここへ来る前に花夜と海石が
調理場で
こしらえた唐菓子だった。ふわりと甘い香りが辺りに広がり、衛士達はごくりと
唾を
呑んだ。
「なんという
芳しい香りだ。今までに見たこともない……。何ですか、これは?」
問いかけに海石はとびきりの笑みを返す。
「
唐菓子ですわ。どうか
冷めないうちにお召し上がりください」
「これが唐菓子か!まさかこの目で見られる日が来るとは……。しかし、我らは今はまだ勤務の最中。勝手に
休憩をとって物を食べるなど……」
「ならばこの場で立ったまま召し上がればよろしいではありませんの。ここには
滅多に人など来ませんし、お
行儀が悪くても
咎める者などおりませんわ」
「それもそうだな。我々がここを守るようになって
大分経つが、
采女と
八乙女以外に
訪れる人間など見たことがない」
「それに、
唐菓子など、こんな機会でもなければ一生口には入らぬぞ」
衛士達は顔を見合わせうなずき合うと、満面の笑みで礼を言い、箱を受け取った。
「おお……、何と甘く
柔らかいのだ」
衛士達は
相好を崩し、
奪い合うような勢いで唐菓子を
頬張る。
「このような味、初めてだ。何だ、この
不思議な風味は……」
衛士達は互いに味の感想を言い合いながら
唐菓子を口に運び続けていたが、その言葉は
次第に
間延びし
呂律が回らなくなっていった。動作もだんだんと
緩慢になっていき、やがて衛士達は糸が切れたように
突然その場に
くずおれた。
「え……っ!?一体何が!?まさか、毒でも盛ったのですか!?」
何も知らされていなかった花夜はぎょっとして衛士達に
駆け寄り、おそるおそるその顔をのぞき
込む。
「毒ではありません。眠り薬です。この唐菓子に
仕込んだ量でしたら、まず半日は目を覚まさないはずですわ。この別宮は八乙女が強力な結界を張っておりますので、かえって
人間の
警備は
手薄です。おそらく衛士はこの門番達だけですわ。さ、
参りましょう」
海石は地に
転がっていた箱を拾い上げ、倒れ
伏した衛士達には目もくれずに歩き出す。花夜と泊瀬はあわててその後を追った。
「すごいですね、海石姫は。あのように堂々とした
振舞、私にはとてもできません」
先ほどまでの海石の演技に花夜が素直に
賞賛を
贈る。だが海石はそんな花夜の瞳の輝きから目をそらすかのようにうつむき、
自嘲の笑みを
零した。
「すごくなどありませんわ。大宮ではこのくらい
肝が
据わっていなければ、とても生き残ってこられなかったというだけの話です。それに、私のように
小賢しく立ち回れる人間より、他人を
騙すこともできないくらいに真っ
直ぐで不器用な
方の方が、私は
人間として
好ましいと思いますわ」
門をくぐり抜けると、塀の内側にはさらに三重の
垣根がめぐらされていた。
慎重な足取りでそこを抜けると、やっと別宮そのものが姿を現す。
だがそれは、俺達の思いもよらない姿をしていた。
「これが……
別宮なのですか?」
花夜が
呆然とつぶやく。それは神社などによくある
白木造りの高床式建築などではなく、それどころか建物ですらなかった。
土を高く
盛り、その表面を石で
葺いて整えたその姿は、まるで
古の王の
墓所のように見えた。
「ええ。この
古墳が荒水宮です。この中に水神様がいらっしゃるのですわ」
言いながら、海石はてきぱきと持ってきた
荷物を
解いていく。取り出したものは
奇妙な形の
松明だった。
「なるほど、古墳の中に入るから
松明が必要だったのか。だが、
何故そんな妙な形をしているんだ?」
「これは『
うなぎ松明』ですわ。よく
乾かしてから何度も油を
塗った
蒲の穂の上にうなぎの皮を巻くと、雨の日でも火が消えないのです」
「雨?何を言っているんだ、海石姫。空はこんなに晴れているのに」
泊瀬が
采女装束を
脱ぎ捨て、下に着ていた衣服を整えながら問う。
「水に対する準備は、しておくに
越したことがないのです。八乙女の結界に現れるものは、おそらく水の霊力を持つ精霊か神なのですから」
海石は
神妙な顔で
古墳の方を指差す。
「花夜姫、古墳の周りに四つの柱と、その間を結ぶ
注連縄が見えますわね?あれが八乙女の手による結界です。あの結界より一歩でも中に
踏み
込めば、八乙女の
召喚した精霊か神が
襲いかかってくるはずです」
「……花蘇利の神社を守っていたのは
水霊でした。
鎮守神のいらっしゃる別宮を守るものであれば、きっとそれ以上のものなのでしょうね」
花夜は
衣袖をタスキでたくし上げ、
額には
緋色の
鉢巻状の布を
締める。
靴は
脱ぎ捨て、首や手足には何重にも
珠を巻きつける。神事にあたる巫女の正装だ。
花夜は
大刀姿の俺を両手で
掲げ持つと、
双眸を閉じ、俺だけに聞こえる声でそっとささやきかけた。
「ヤト様。お
祈がい
致します。どうか私に力をお貸しください」
『ああ、
無論だ。
共に
闘おう、俺の巫女よ』
「はい!」
花夜はうなずき、泊瀬と海石を振り返った。
「では、
参ります。お二人はどうか安全な場所に
隠れていてください」
花夜は俺の
柄を強く
握りしめ、結界を
踏み
越えた。
途端、
にわかに辺りが暗くなった。つい先刻まで晴れていたはずの空はいつの
間にか雲に
覆われ、
突如として滝のように雨が
降り
注ぐ。
「痛……ッ!何ですか、これ!?」
小石の
塊のような
大粒の雨が俺の
刀身を、花夜の
肌を
叩きつける。それは単なる雨というよりも、まるで上から巨大な何かに押し
潰されようとしているかのような感覚だった。
目を開けても、息を吸っても、
容赦なく水が入ってくる。花夜は俺を
握りそこに立っているのがやっとだった。
『花夜、風だ。
剣風を起こし、雨を切り
裂くのだ!』
「……はい……っ!」
花夜は呼吸もままならず、雨に視界を
奪われながらも無我夢中で俺を振り回す。
刀身から巻き起こった真空の刃が周りの雨を吹き飛ばし、一瞬身が軽くなる。だが、それはほんの
刹那のことだった。
切り裂いても切り裂いても、
絶え
間なく降りしきる雨はすぐに再び俺達を
捕え、全身にまとわりつく。まるで雨の
檻の中で
無駄に
踊らされ続けているかのように、一歩もそこを動くことができない。
『相手が雨では、いくら切り裂いても無駄ということか……。ならば、雲だ!花夜、空へ向けて俺を振れ!
雨雲を吹き飛ばすのだ!』
「はい……っ!」
花夜はすぐさま俺を振る手を高く
掲げ、空へ向けて
一閃した。だが、風の刃は雲までは
届かず空中に
儚く消えてしまう。
『く……っ、俺の霊力では
届かないのか……。どうすれば良いんだ』
「いいえ、ヤト様。雲を切り裂くというお考え自体は
間違っていないと思います。届かぬのなら、届くようにすれば良いのです」
言うなり花夜は俺を握ったまま、その場で円を
描くように
踊りだした。
拍子をとって足を
踏み、くるくると回りながら大きく俺を振り回す。
やがて、刀身から
生れた風が花夜の周りで
渦を巻き始めた。それは
徐々に大きくなり、
雨粒を巻き込みながら上へ上へと高く立ち
昇っていく。それはまるで、天へ
駆け
昇る竜のようだった。
『
竜巻か……!なるほど、これなら雲にも届く!』
竜巻は見る間にその高さを
増し、やがて雲の底に達した。黒雲に
矛先で
突き
割いたのように穴が開く。それはどんどん大きく広がり、やがて俺達の頭上にはぽっかりと青空が顔を出した。
花夜は全身
濡れそぼち、
肩で息をしながら口を
開く。
「……何だったのでしょうか。今の雨が八乙女の
召び出した『何か』なのでしょうか?」
『分からん。だが、
鎮守神を守る結界がこれで終わるとは思えん。油断するな花夜。
古墳の中に入るまでは何があるか……』
言い終わらぬうちに、再び空がかき
曇る。
墨色の雲は雷光を
帯び、
獣の
唸りのような雷の音を
轟かせた。
『何故に神域を
侵すのだ。大刀の姿持つ神よ、そしてその巫女たる人の子よ』
薄闇の中、俺達の前に一人の人間……いや、一柱の神の姿が浮かび上がった。
激しく流れ落ちる滝の水を思わせる白い
髪が、
稲光を受け時折
蒼く光って見える。その姿に、遠くで海石が息を
呑み叫んだ。
「あれは……
滝津比古尊!」
それは本来であれば
恵みの雨をもたらす神の名。
日照りの年に
雨乞いの
祈りを
捧げる神の名だった。
『大刀神とその巫女よ、今すぐ去れ。さもなければ、再び滝の雨を浴びせよう』
「
滝津比古尊!どうか聞いて下さい!私達は水神様を害する気はありません!水神様をお救いするために参ったのです!」
花夜は声を張り上げて叫ぶ。だが
滝津比古は聞き入れなかった。
『
水波女神は自らの御意思でお
籠もりになっている。それを
邪魔する者は
皆、
彼の女神の御意思に
背く者。
排除すべき敵だ』
「自らの意思でお籠もりになっている……!?」
『
惑わされるな、花夜!滝津比古は八乙女の呪術をかけられている!その言葉をまともに取り合ってはならん!』
「でも、これでは言葉でいくら説得しても分かってはいただけません。闘うしかないのでしょうか?」
花夜が迷うように瞳を
揺らしたその時、海石がハッとしたように声を上げた。
「花夜姫!『
石神』を探して下さい。相手が滝津比古尊であれば、結界の中の
何処かに
彼の神の魂が宿る
依代の石があるはずです。その石神さえ
砕いてしまえば、
彼の神の魂はこの地に
留まることができず、本国へお戻りになるはずです」
「海石姫……。分かりました!ありがとうございます!」
海石へ向け一つ頭を下げ、花夜は石神を探すため走り出した。
『我に
従わぬか。ならば
容赦はせぬ』
低く
唸るような滝津比古の声の直後、再び雨が降り出した。花夜は風の刃で雨を切り裂きながら古墳の周りを回り、石神を探す。それは苦もなく見つかった。だが……
「……あった」
そうつぶやいたきり、花夜は
途方に
暮れたように立ち
尽くした。ようやく見つけた石神は、花夜の
背丈ほどもあろうかという巨石だった。しかもそれが、まるで
天の
岩戸のように、しっかりと古墳の入口を
塞いでいる。
『花夜、
呆けている場合ではない!とにかく剣風で切り裂いてみるんだ!』
「はい!」
花夜は石神へ向け、必死に俺の
刀身を振る。だが風の刃は石神に巻かれた
注連縄を断ち切るばかりで、石そのものには傷一つつけられない。降りしきる雨と戦闘による
疲労とで、花夜の体力はもう限界に達しようとしていた。
『もう
良い、花夜!
一旦退却し、
策を
練り直そう』
「でも、一度
退いたら、次は
警戒が増して余計に
困難になるのでは……」
その時、花夜の
腰の
五鈴鏡から声がした。
『花夜、鏡を空へ向けてかざしなさい』
「母さま!」
花夜が鏡をかざすと、鏡面から鳥の形をした白い光が飛び出した。花夜の母・鳥羽の霊だ。
しかしその姿はかつてとは比べ物にならぬほど小さく
儚くなり、うっすらと向こう側を
透かしていた。この四年の間に大分霊力を
消耗し、その存在自体を
保てなくなりつつあるのだ。
鳥羽はそのまま一直線に宙を
駆け、黒雲に飛び込んで見えなくなる。
直後、雲の中で
稲妻の
閃光が一層激しさを増した。鳥羽は雷雲の中を激しく飛び回る。まるで雲の中をわざとかき回しているかのようだった。
「母さま、一体何をなさっているのでしょう?」
雲間に見え
隠れする鳥羽の姿を雨水を
拭って見上げながら、花夜が
疑問の声を洩らす。その時、鳥羽が雲を突き破り
戻ってきた。その全身には、ぱりぱりと音を立てて火花を散らす青白い光が
宿っている。
威火霊の光だ。
『花夜、雷雲より集めたこの
威火霊の霊力を、あなたの神に
注ぎ込みます。
構えなさい』
「はい……っ!」
花夜はあわてて俺を
握る両手を前へ
突き出す。そこへすぐさま鳥羽の霊が真っ直ぐにぶつかってくる。鳥羽が全身にまとっていた
威火霊の霊力が勢い良く俺の
刀身に注ぎ込まれ、吸い込まれていく。全身に霊力が
漲るのが分かった。
『行けるぞ、花夜!石神へ向け俺を振り下ろせ!この威火霊の霊力、一気に解き放つ!』
「はい!ヤト様!」
花夜は残った気力を振り
絞り俺の
刀身を持ち上げると、思いきり振り下ろした。大刀の先から光が
迸り、青白い炎が龍と化して宙を走る。直後、視界がまばゆい白光に
染め尽くされ、
凄まじい
轟音が天と地とを
震わせた。
「花夜姫!
無事か!?」
「雷が落ちたように見えましたが、
大丈夫ですか!?」
泊瀬と海石が蒼白な顔で
駆けつけて来たその時、花夜はばらばらに砕け散った石神の前で
疲れ果ててへたり込んでいた。
いつの間にか雨は
止み、
滝津比古の姿も消えていた。そして石神のあった場所には、
古墳の中へと続く穴がぽっかりと暗い口を開けていた。
「大丈夫です。
怪我はありません。泊瀬様、海石姫、ここから中へ入れそうですよ。さっそく参りましょう」
言って花夜は立ち上がる。だがその身体はふらりとよろめき
傾いた。俺はとっさに人の姿に戻り、その身を
支える。
「無理をするな。まだ一人で立ち上がれぬのだろう?」
「でも、今の音を聞きつけて他の衛士達が飛んでくるかも知れません。もたもたしているわけには……」
俺はため息を一つつき、花夜の身を横抱きに
抱え上げた。
「これならば
文句は無いだろう」
「ちょ……っ、ヤト様っ!」
顔を真っ赤に染めてあわてふためく花夜を無視し、俺はそのまま古墳の内部へ足を
踏み入れた。
中は
古の
墳墓と同じように入口から石の
壁に
覆われた細い道が
延びていた。ひんやりと冷たい風の流れるその道を、赤く
揺らめく
松明の灯を
頼りに進む。
やがて細い道は終わり、少し
開けた部屋に出た。壁には色
鮮やかな
文様が描かれ、
突き当たりには人一人がやっとくぐれるほどの
狭い穴が開いている。
「あの先に、ミヅハ様が……」
泊瀬は
うわ言のようにつぶやくと、その穴へ向けふらふらと走り出した。しかし、泊瀬の身がその穴をくぐる寸前で制止の声が投げられる。
『待て』
その声は
石室の壁に
反響し、何重にも
重なって聞こえてきた。
「何者だっ!?」
『人の子よ、その門をくぐることはならん。今すぐここを立ち去るのだ』
暗闇にぼんやりと神らしきものの姿が浮かび上がる。それは一つだけではなかった。
一柱、また一柱と、次々に姿を現した神々は、石室の壁に
沿い、俺達をぐるりと取り囲んだ。
「
天水分神に
地水分神、
太水神に
花浪神、
御井神に
大水主尊まで……!」
海石が
居並ぶ神々の名をつぶやき息を
呑む。それは全て水に関係する神々の名だった。
「水に関わる神々よ!どうかそこを通してくれ!ミヅハ様に会わせてくれ!」
泊瀬は必死に
懇願する。だが神々は首を
縦には振らない。
『ならぬ。
水波女神はここを出ることを
望んではおられぬ』
「
嘘だ!だって、あの方はずっと泣いていらっしゃるんだ!国で悪いことが起こるたびに、ご自分を
責めて、
嘆いて……。ミヅハ様がお出ましになられれば、国の悪事は
減る!あの方があれほどに嘆かずに
済むんだ!俺はもう、あの方のあんな顔は見たくない!俺は、あの方に笑って欲しいんだ!」
『その言い方は、まるで
水波女神とお会いしたことがあるとでも言うようだな』
『長らくここに
籠もっていらっしゃる水波女神とお会いしたことのある人の子など、いるはずがない』
『お前は何者だ?名を何と言う?』
泊瀬は神々の不審がり
値踏みするような目にも
怯むことなく、堂々と名乗りを上げた。
「我が名は泊瀬。
霧狭司の国王と
射魔氏出身の
后・
波限との間に生まれた
王子・泊瀬だ」
その名乗りに神々はざわめく。
『なんと……。
霧狭司国の
王子か』
『その名は聞いたことがある。そうか、お前が水波女神の
寵愛を受けた
王子か』
しばらく
沈黙し顔を見合わせた後、神々はすっと道を開けた。
『通るが良い。そなたであれば水波女神もお会いになるであろう』
泊瀬の顔がぱっと輝く。
「水に関わる神々よ、感謝する!この恩は忘れない!」
泊瀬は神々に向け
丁寧に頭を下げると、矢の勢いで穴の向こうに駆け込んでいった。俺達もその後に続く。だが最後に穴をくぐった俺にだけ、神々の
洩らしたつぶやきが聞こえてきた。
『……お会いにはなるだろう。しかし、それだけだ。
水波女神は決してここをお出にはならない。決して、な』