第八章 雨下の攻防

 別宮(わけみや)荒水宮(あらみのみや)』は丘の林の中にひっそりと、隠れるように建っていた。人が踏み固めたような細い道がかろうじて通ってはいるものの、行き交う人間(ひと)もまるで無く、ふいに林が途切れて(へい)と門が現れるまでは話を聞いていた俺でさえ宮の有無を疑ったほどだ。
「私は霊河(ひかわ)の大宮より(つか)わされました采女(うねめ)生井児(いくゐこ)と申します。別宮に祭祀(まつ)られし神に贖物(あがもの)を持って参りました。どうかお通し下さいませ」
 偽りの名を告げ、用意した割符を見せ、海石(いくり)は門前に立つ衛士達へ向けてにこりと微笑みかけた。海石が言うには名の後ろに『()』を付けるのが宮仕(みやづか)えの(をみな)のならわしなのだそうだ。
 衛士達は割符を()めつ(すが)めつして確かめた後、海石の背後に控える花夜と泊瀬をちらりと一瞥(いちべつ)した。
 ぎこちないながらも笑みを浮かべる花夜(かや)とは対照的に、泊瀬(はつせ)はぎくりとした表情で海石の後ろに身を隠す。あからさまに視線を避けようとするその態度に、衛士の一人が眉をひそめた。
「そこの采女、何故(なにゆえ)顔を隠される」
「え……っ、その……」
 あわてて弁解を図ろうとする泊瀬を手で制し、海石は動じる様もなく、ただその笑みにほんの少し苦笑の色を混ぜた。
「申し訳ありません。その子は(さと)から出てきたばかりで、まだこういう場に慣れておりませんの。采女の中には多いのですわ。家の奥深くで大切に育てられ過ぎたために、他人(ひと)に顔を見られることさえ恥づかしがってしまう少女(をとめ)が」
 その言葉と表情は芝居とはとても思えぬほどに自然で、衛士達も得心がいったように(うなづ)いた。
「なるほど、一人だけいやに垢抜(あかぬ)けぬ女子(むすめ)がいると思ったが、そういうことか」
「ばか、言葉を(つつし)め。相手は氏族の姫君なのだぞ。聞こえたらどうする」
 衛士達の(ささや)きが耳に入り、泊瀬は顔をひきつらせた。
「垢抜けぬ女子(むすめ)って……。いや、べつに綺麗と思われたかったわけではないが……」
 複雑な思いで肩を落とす泊瀬に、花夜がひそめた声で(なぐさ)めの言葉を()ける。
「仕方がありませんよ。美しく身を飾る(わざ)というものは、(まこと)少女(をとめ)でさえ日々苦労するものなのですから。それに、私は素朴で可愛らしいと思いますよ、そのお姿」
「いや、だから()められても(うれ)しくないのだが」
 すっかり海石を本物の使人(つかい)と信じた衛士達は道を開けるように左右に分かれ、深々と頭を下げた。
「失礼致しました。どうぞお通りください」
 しかし海石は歩み出そうとはせず、手に持っていた漆塗りの(はこ)(ふた)を開け、衛士達に向け差し出した。
「これは衛士の皆様へ大宮からの差入れの品ですわ。いつも別宮(わけみや)の守りをご苦労様です。今日もずっと立ち通しでお疲れでしょう。どうぞお召し上がり下さいな」
 (はこ)の中に入っているのは、ここへ来る前に花夜と海石が(くりや)(こしら)えた唐菓子(からくだもの)だった。ふわりと甘い香りが辺りに広がり、衛士達はごくりと(つば)()んだ。
「なんという(かぐわ)しい香りだ。今までに見たこともない……。何ですか、これは?」
 問いかけに海石はとびきりの笑みを返す。
唐菓子(からくだもの)ですわ。どうか冷めないうちにお召し上がりください」
「これが唐菓子か!まさかこの目で見られる日が来るとは……。しかし、我らは今はまだ(つと)めの最中(さなか)。勝手に休んで物を食すなど……」
「ならばこの場で立ったまま召し上がればよろしいではありませんの。ここには滅多に人など来ませんし、お行儀が悪くても(とが)める者などおりませんわ」
「それもそうだな。我々がここを守るようになって大分()つが、采女と八乙女(やをとめ)以外に訪れる人間など見たことがない」
「それに、唐菓子(からくだもの)など、このような場でもなければ一生口には入らぬぞ」
 衛士達は顔を見合わせ(うなづ)き合うと、満面の笑みで礼を言い、(はこ)を受け取った。
「おお……、何と甘く柔らかいのだ」
 衛士達は相好(そうごう)を崩し、奪い合うような勢いで唐菓子を頬張る。
「このような味、初めてだ。何だ、この不可思議な風味は……」
 衛士達は互いに味の感想を言い合いながら唐菓子を口に運び続けていたが、その言葉は次第に間延(まの)びし呂律(ろれつ)が回らなくなっていった。動作もだんだんと緩慢(かんまん)になっていき、やがて衛士達は糸が切れたように突然その場に(くづお)れた。
「え……っ!?一体何が!?まさか、毒でも盛ったのですか!?」
 何も知らされていなかった花夜はぎょっとして衛士達に駆け寄り、おそるおそるその顔を(のぞ)き込む。
「毒ではありません。眠り薬です。この唐菓子(からくだもの)に仕込んだ量でしたら、まず半日は目を覚まさないはずですわ。この別宮は八乙女が強き結界を張っておりますので、かえって人間(ひと)の守りは手薄です。おそらく衛士はこの御垣守(みかきもり)たちだけですわ。さ、参りましょう」
 海石は地に転がっていた(はこ)を拾い上げ、倒れ伏した衛士達には目もくれずに歩き出す。花夜と泊瀬は(あわ)ててその後を追った。
(すご)いですね、海石姫は。()(よう)に堂々とした振舞(ふるまい)、私にはとてもできません」
 先ほどまでの海石の芝居に花夜が素直に賞賛を贈る。だが海石はそんな花夜の瞳の輝きから目を()らすかのように(うつむ)き、自嘲(じちょう)の笑みを(こぼ)した。
「凄くなどありませんわ。大宮ではこのくらい肝が()わっていなければ、とても生き残ってはこられなかったというだけの話です。それに、私のように小賢(こざか)しく立ち回れる人間より、他人(ひと)(だま)すこともできないくらいに真っ直ぐで不器用な(かた)の方が、私は人間(ひと)として(この)もしく思いますわ」
 門をくぐり抜けると、(へい)の内にはさらに三重(みえ)宮垣(みかき)がめぐらされていた。慎重な足取りでそこを抜けると、やっと別宮(わけみや)そのものが姿を現す。
 だがそれは、俺達の思いもよらなぬ姿をしていた。
「これが……別宮(わけみや)なのですか?」
 花夜が呆然と(つぶや)く。それは(やしろ)などによくある素木(しらき)造り高殿(たかどの)などではなく、それどころか建物ですらなかった。
 土を高く盛り、その外面(そとづら)を石で()いて整えたその姿は、まるで上古之時(いにしえ)の王の奥墓(おくつき)のように見えた。
「ええ。この古墳(ふるつか)が荒水宮です。この中に水神(みづかみ)様がいらっしゃるのですわ」
 言いながら、海石はてきぱきと持ってきた荷を解いていく。取り出したものは奇妙な形の松明(たいまつ)だった。
「なるほど、古墳(ふるつか)の内に入るから手火(たひ)が必要だったのか。だが、何故そんな妙な形をしているんだ?」
「これは(むなぎ)の松明ですわ。干してから幾度(いくど)も油を塗った蒲黄(かまのはな)の上に(むなぎ)の皮を巻くと、雨の日でも火が消えないのです」
「雨?何を言っているんだ、海石姫。(そら)はこんなに晴れているのに」
 泊瀬が采女の束装(よそい)を脱ぎ捨て、下に着ていた衣褌(きぬはかま)を整えながら問う。
「水への備えは、しておくに越したことがないのです。八乙女の結界に現れるものは、おそらく水の霊力(ちから)を持つ精霊(すたま)か神なのですから」
 海石は神妙な顔で古墳(ふるつか)の方を指差す。
「花夜姫、(つか)(めぐ)りに四つの柱と、その間を結ぶ標縄(しめなわ)が見えますわね?あれが八乙女の手による結界です。()の結界より一歩(ひとあし)でも内に踏み入れば、八乙女の()び出した精霊(すたま)か神が襲いかかってくるはずです」
「……花蘇利(かそり)神社(かむやしろ)を守っていたのは水霊(ミヅチ)でした。鎮守神(ちんじゅがみ)のいらっしゃる別宮を守るものであれば、きっとそれ以上のものなのでしょうね」
 花夜は衣袖(ころもで)(たすき)でたくし上げ、(ぬか)緋色(あけいろ)(かづら)を締める。(くつ)は脱ぎ捨て、首や手足には幾重(いくえ)にも(たま)を巻く。祭祀(マツリ)にあたる巫女の正装だ。
 花夜は大刀(たち)姿の俺を両手で(かか)げ持つと、両の(まなこ)を閉じ、俺だけに聞こえる声でそっと(ささや)きかけた。
「ヤト様。お()がい致します。どうか私に力をお貸しください」
『ああ、無論だ。共に(たたか)おう、俺の巫女よ』
「はい!」
 花夜は(うなづ)き、泊瀬と海石を振り返った。
「では、参ります。お二人はどうか安全な場所に隠れていてください」
 花夜は俺の手柄(たかみ)を強く握りしめ、結界を踏み越えた。
 途端、(にわか)に辺りが暗くなった。つい先刻まで晴れていたはずの(そら)はいつの間にか雲に覆われ、突如(とつじょ)として(たぎ)のように雨が降り注ぐ。
「痛……ッ!何ですか、これ!?」
 石塊(いしくれ)のような大粒の雨が俺の刀身()を、花夜の肌を叩きつける。それは単なる雨というよりも、まるで上から巨大な何かに押し(つぶ)されようとしているかのような感覚だった。
 目を開けても、息を吸っても、容赦なく水が入ってくる。花夜は俺を握りそこに立っているのがやっとだった。
『花夜、風だ。大刀(たち)の風を起こし、雨を切り裂くのだ!』
「……はい……っ!」
 花夜は呼吸もままならず、雨に視界を奪われながらも無我夢中で俺を振り回す。
 刀身から巻き起こった鎌鼬(かまいたち)が周りの雨を吹き飛ばし、一瞬身が軽くなる。だが、それはほんの刹那のことだった。
 切り裂いても切り裂いても、絶え間なく降りしきる雨はすぐに再び俺達を捕え、全身にまとわりつく。まるで雨の(おり)の中で無為に踊らされ続けているかのように、一歩もそこを動くことができない。
『相手が雨では、いくら切り裂いても無駄ということか……。ならば、雲だ!花夜、(そら)へ向けて俺を振れ!雨雲(あまくも)を吹き飛ばすのだ!』
「はい……っ!」
 花夜はすぐさま俺を振る手を高く掲げ、(そら)へ向けて一閃した。だが、風の刃は雲までは届かず虚空(そら)(はかな)く消えてしまう。
『く……っ、俺の霊力(ちから)では届かぬのか……。どうすれば良いのだ』
「いいえ、ヤト様。雲を切り裂くというお考え自体は間違っていないと思います。届かぬと言うのなら、届くようにすれば良いのです」
 言うなり花夜は俺を握ったまま、その場で弧を描くように踊りだした。
 拍子をとって足を踏み、くるくると回りながら大きく俺を振り回す。
 やがて、刀身から(うま)れた風が花夜の周りで渦を巻き始めた。それは徐々に大きくなり、雨粒を巻き込みながら上へ上へと高く立ち昇っていく。それはさながら、(そら)へ駆け昇る竜のようだった。
竜巻(タツマキ)か……!なるほど、これなら雲にも届く!』
 竜巻は見る間にその高さを増し、やがて雲の底に達した。黒雲に矛先で穿(うが)ったかのように穴が開く。それはどんどん大きく広がり、やがて俺達の頭上にはぽっかりと蒼天(あおぞら)が顔を出した。
 花夜は全身()()、肩で息をしながら口を(ひら)く。
「……何だったのでしょうか。今の雨が八乙女の()び出した『何か』なのでしょうか?」
『分からん。だが、鎮守神(ちんじゅがみ)を守る結界がこれで終わるとは思えん。気を抜くな花夜。古墳(ふるつか)の中に入るまでは何があるか……』
 言い終わらぬうちに、再び(そら)がかき(くも)る。墨色の雲は雷光を帯び、獣の(うな)りのような鳴神(ナルカミ)の音を轟かせた。
何故(なにゆえ)に神域を(おか)すのだ。大刀の姿持つ神よ、そしてその巫女たる人の子よ』
 薄闇の中、俺達の前に一人の人間……否、一柱の神の姿が浮かび上がった。
 激しく流れ落ちる滝の水を思わせる白い髪が、稲光を受け時折(あお)く光って見える。その姿に、遠くで海石が息を()み叫んだ。
「あれは……滝津比古尊(タギツヒコノミコト)!」
 それは本来であれば恵みの雨をもたらす神の名。(ひでり)の年に雨乞(あまご)いの祈りを捧げる神の名だった。
『大刀神とその巫女よ、今すぐ()ね。さもなくば、再び(たぎ)の雨を浴びせようぞ』
滝津比古尊(タギツヒコノミコト)!どうか聞いて下さい!私達は水神様に害を及ぼす気はありません!水神様をお救いするために参ったのです!」
 花夜は声を張り上げて叫ぶ。だが滝津比古(タギツヒコ)は聞き入れなかった。
水波女神(ミヅハノメノカミ)は自らの御意思でお()もりになっている。それを妨げる者は皆、()の女神の御意思に背く者。(はら)うべき(あた)だ』
「自らの意思でお籠もりになっている……!?」
『惑わされるな、花夜!滝津比古は八乙女の呪術(まじない)をかけられている!その言葉を真っ当に取り合ってはならぬ!』
「でも、これでは言葉でいくら()いたところで分かってはいただけません。闘うしかないのでしょうか?」
 花夜が迷うように瞳を揺らしたその時、海石がハッとしたように声を上げた。
「花夜姫!『石神(イシガミ)』を探して下さい。相手が滝津比古尊であれば、結界の内の何処(いづこ)かに()の神の(ミタマ)が宿る御依代(みよさし)の石があるはずです。その石神さえ砕いてしまえば、()の神の(ミタマ)はこの地に留まることができず、本国(もとつくに)へお戻りになるはずです」
「海石姫……。分かりました!ありがとうございます!」
 海石へ向け一つ頭を下げ、花夜は石神を探すため走り出した。
『我に従わぬか。ならば容赦はせぬ』
 低く唸るような滝津比古の声の直後、再び雨が降り出した。花夜は風の刃で雨を切り裂きながら古墳(ふるつか)の周りを回り、石神を探す。それは苦も無く見つかった。だが……
「……あった」
 そう呟いたきり、花夜は途方に暮れたように立ち尽くした。ようやく見つけた石神は、花夜の背丈ほどもあろうかという巨石だった。しかもそれが、さながら(アメ)石屋戸(イワヤト)のように、しっかりと古墳(ふるつか)の入口を(ふた)いでいる。
『花夜、呆けている時ではない!とにかく大刀風(たちかぜ)で切り裂いてみるのだ!』
「はい!」
 花夜は石神へ向け、必死に俺の刀身()を振る。だが風の刃は石神に巻かれた標縄(しめなわ)を断ち切るばかりで、石そのものには(きず)一つつけられない。降りしきる雨と闘いの疲れとで、花夜の体力はもう限界に達しようとしていた。
『もう良い、花夜!一度(ひとたび)退(しりぞ)き、策を練り直そう』
「でも、一度退いたら、次は警戒が増して余計に困難になるのでは……」
 その時、花夜の腰の五鈴鏡(ごれいきょう)から声がした。
『花夜、鏡を(そら)へ向けてかざしなさい』
「母さま!」
 花夜が鏡をかざすと、鏡面から鳥の形をした白い光が飛び出した。花夜の母・鳥羽(とわ)(たましい)だ。
 しかしその姿はかつてとは比べ物にならぬほど小さく儚くなり、うっすらと向こう側を透かしていた。この四年(よとせ)の間に大分霊力(ちから)を削り、その存在自体を保てなくなりつつあるのだ。
 鳥羽はそのまま一筋(ひとすぢ)(くう)()け、黒雲に飛び込んで見えなくなる。
 直後、雲の中で稲妻の閃きが一層激しさを増した。鳥羽は雷雲の中を激しく飛び回る。まるで雲の中をわざと()き回しているかのようだった。
「母さま、一体何をなさっているのでしょう?」
 雲間に見え隠れする鳥羽の姿を雨水を(ぬぐ)って仰ぎ見ながら、花夜が疑問の声を()らす。その時、鳥羽が雲を突き破り戻ってきた。その全身には、ぱりぱりと音を立てて火花を散らす青白い光が宿っている。威火霊(イカヅチ)の光だ。
『花夜、雷雲より集めたこの威火霊(イカヅチ)霊力(ちから)を、あなたの神に注ぎ込みます。構えなさい』
「はい……っ!」
 花夜は(あわ)てて俺を握る両手を前へ突き出す。そこへすぐさま鳥羽の霊が真っ直ぐにぶつかってくる。鳥羽が全身にまとっていた威火霊(イカヅチ)霊力(ちから)が勢い良く俺の刀身()に注ぎ込まれ、吸い込まれていく。全身に霊力が(みなぎ)るのが分かった。
『行けるぞ、花夜!石神へ向け俺を振り下ろせ!この威火霊(イカヅチ)の霊力、一気に解き放つ!』
「はい!ヤト様!」
 花夜は残った気力を振り絞り俺の刀身()を持ち上げると、思いきり振り下ろした。大刀の先から光が(ほとばし)り、青白い炎が龍と()(くう)を駆ける。直後、視界が(まばゆ)い白光に染め尽くされ、凄まじい轟音が天地(あめつち)を震わせた。
「花夜姫!無事か!?」
雷電(いなつるび)が落ちたように見えましたが、大事ありませんか!?」
 泊瀬と海石が蒼白な顔で駆けつけて来たその時、花夜はばらばらに砕け散った石神の前で疲れ果ててへたり込んでいた。
 いつの間にか雨は()み、滝津比古(タギツヒコ)の姿も消えていた。そして石神のあった場所には、古墳(ふるつか)の内へと至る穴がぽっかりと暗い口を開けていた。
「大丈夫です。怪我はありません。泊瀬様、海石姫、ここから中へ入れそうですよ。早速(さっそく)参りましょう」
 言って花夜は立ち上がる。だがその身体はふらりとよろめき(かし)いだ。俺は咄嗟(とっさ)に人の形に戻り、その身を支える。
「無理をするな。まだ一人で立ち上がれぬのだろう?」
「でも、今の音を聞きつけて他の衛士達が飛んでくるかも知れません。もたもたしているわけには……」
 俺はため息を一つつき、花夜の身を横抱きに抱え上げた。
「これならば文句はあるまい」
「ちょ……っ、ヤト様っ!」
 顔を真っ赤に染めて(あわ)てふためく花夜を無視し、俺はそのまま古墳の中へ足を踏み入れた。
 中は古の王の墓と同じように入口から石の壁に覆われた細い道が延びていた。ひいやりと冷たい風の流れるその道を、赤く揺らめく松明の灯を頼りに進む。
 やがて細い道は終わり、少し(ひら)けた(むろ)に出た。壁には色鮮やかな文様が描かれ、突き当たりには人一人がやっとくぐれるほどの狭い穴が開いている。
()の先に、ミヅハ様が……」
 泊瀬は譫言(うわごと)のように(つぶや)くと、その穴へ向けふらふらと走り出した。しかし、泊瀬の身がその穴をくぐる寸前で制止の声が投げられる。
『待て』
 その声は石室(いわむろ)の壁に(こだま)し、幾重(いくえ)にも重なって聞こえてきた。
「何者だっ!?」
『人の子よ、その()をくぐることは(まか)りならぬ。今すぐここを立ち去るのだ』
 暗闇にぼんやりと神らしきものの姿が浮かび上がる。それは一つだけではなかった。一柱、また一柱と、次々に姿を(あらわ)した神々は、石室の壁に沿い、俺達をぐるりと取り囲んだ。
天水分神(アメノミクマリノカミ)地水分神(クニノミクマリノカミ)太水神(オオミヅノカミ)花浪神(ハナナミノカミ)御井神(ミヰノカミ)大水主尊(オミヅヌノミコト)まで……!」
 海石が居並ぶ神々の名を(つぶや)き息を呑む。それは全て水に関わる神々の名だった。
「水に関わる神々よ!どうかそこを通してくれ!ミヅハ様に会わせてくれ!」
 泊瀬は必死に懇願する。だが神々は首を縦には振らない。
『ならぬ。水波女神(ミヅハノメノカミ)はここを出ることを望んではおられぬ』
「嘘だ!だって、()の方はずっと泣いていらっしゃるんだ!国で悪いことが起こるたびに、ご自分を責めて、嘆いて……。ミヅハ様がお出ましになられれば、国の悪事は減る!()の方があれほどに嘆かずに済むんだ!俺はもう、()の方のあんな顔は見たくない!俺は、()の方に笑って欲しいんだ!」
『その口振り、まるで水波女神と(まみ)えたことがあるとでも言いたげだな』
『久しくここに籠もられておいでの水波女神と見える人の子などあろうはずがない』
(なれ)は何者だ?名を何と申す?』
 泊瀬は神々の(いぶか)しみ値踏(ねぶ)みするような目にも(ひる)むことなく、堂々と名乗りを上げた。
「我が名は泊瀬。霧狭司(むさし)の国王と射魔(いるま)(うぢ)の出の后・波限(なぎさ)との間に生まれた親王(みこ)・泊瀬だ」
 その名乗りに神々はざわめく。
『なんと……。霧狭司国(むさしのくに)親王(みこ)か』
『その名は聞いたことがある。そうか、(なれ)水波女神(ミヅハノメノカミ)の寵愛を受けし親王(みこ)か』
 しばし沈黙し顔を見合わせた後、神々はすっと道を開けた。
『通るが良い。汝であれば水波女神(ミヅハノメノカミ)もお会いになるであろう』
 泊瀬の顔がぱっと輝く。
「水に関わる神々よ、感謝する!この恩は忘れない!」
 泊瀬は神々に向け丁寧に頭を下げると、矢の勢いで穴の向こうに駆け込んでいった。俺達もその後に続く。だが最後に穴をくぐった俺にだけ、神々の()らした(つぶや)きが聞こえてきた。
『……お会いにはなるだろう。しかし、それだけだ。水波女神は決してここをお出にはならない。決して、な』

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和風オンラインファンタジー小説・花咲く夜に君の名を呼ぶ
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