第八章 雨下の攻防

 射魔(いるま)の家の客人となった俺と花夜は、今までに受けたことのないような歓待を受けた。
 水神を鎮守神(ちんじゅしん)に持つ国の氏族、しかも国王の(きさき)を出した家ともなれば、その富や権力は小国の首長(おびと)にも匹敵する。しかも霧狭司は内装に関する(たくみ)の技も他の国々とは比べものにならぬほどに進んでいた。
 俺たちが通された寝室には板張りの床に華麗な文様(もんよう)を描いた絨毯(じゅうたん)()かれ、琉璃(るり)(つぼ)や銀の香炉、細やかな彫りの(ほどこ)された脇几(わきづき)、飾り金具のついた厨子(ずし)などがさりげなく置かれていた。
 夕食も当然ながら今までに見たこともないほど豪奢(ごうしゃ)なもので、(はす)の実や(たけのこ)(あわび)に鹿肉に(かも)の肉など山海の珍味が並び、その上それらを盛り付けた器も、それらを食するための(はし)(さじ)も全てに(うるし)()られ、つやつやと黒く照り輝いていた。
 小さな村里のもてなしでさえ目を輝かせていた花夜であれば満面の笑みで飛びつきかねない夕食だというのに、どういうわけか花夜は、(はし)が進まぬ様子でぼんやりとしていた。だが、俺はそのことについて特に問い(ただ)すことはしなかった。
 その夜、俺は整えられた寝具の上で寝るともなしに横になっていた。泊瀬たちの語った話はあまりにも途方(とほう)もなく、そのことについて思いを(めぐ)らせていると、とても眠れる気がしなかった。
 花夜もおそらくはそうだったのだろう。時折、(とばり)に隔てられた隣の寝室から花夜の身じろぐ微かな物音が聞こえてきていた。
 まんじりともしないまま、やがて夜も()け、部屋の中はすっかり闇に包まれていた。同じように眠れていないであろう花夜を案じる俺の耳に、ふいに(とばり)の向こうから外へと向かう足音と(とびら)のきしむ音が聞こえてきた。何処(どこ)へ行くつもりなのかとさすがに気になり、すぐに身を起こし後を追う。
 扉を開け外へ出ると、その姿はすぐに見つかった。
 寝室の外にめぐらされた渡り廊下(ろうか)途中(とちゅう)、庭に面した(ひさし)の下で花夜はひとり夜空を見上げていた。俺はそっと近づき声を()けた。
「花夜、眠れないのか?」
「ヤト様……」
 気配に気づいていたのか、花夜は(おどろ)くこともなく俺の名を呼び、微笑(ほほえ)んだ。
「はい。目が()えてしまいまして……」
「無理も無い。今日はあまりにもいろいろなことがあり過ぎた」
「……そうですね」
 うなずき、花夜は再び空を見上げた。漆黒の夜空には金銀の砂をまき散らしたかのように星が(またた)いている。それを(なが)めながら、花夜はぽつりとつぶやいた。
今宵(こよい)星月夜(ほしづきよ)ですね」
「ああ。そうだな」
綺麗(きれい)ですけど……、(なが)めていると少し怖くなってきます。空が深くて、果てしなくて……このまま吸い込まれていってしまいそうで……」
 そう言う花夜の横顔は、(めずら)しくひどく心許無(こころもとな)げに見えた。
「花夜、お前……迷っているのか?」
 俺は軽い驚きを覚えながらその問いを口にした。悪事を正すためや(だれ)かを助けるためならば、俺に意見を求めることなどなしに行動を決めてしまうのがこれまでの彼女の常だった。こんな風に迷っているところなど、これまで見たことがなかったのだ。
「はい。何だか、(おそ)ろしくて……。水神様といえば祈形国(ネノカタスクニ)ではスサノヲノミコトに次いで力を持つとされる風火水土の四柱(よつはしら)のうちの一柱。その方が封じられてしまうほどの結界など、正直に言って私には考えも及びません。それに……」
 そこで言葉を切り、花夜は何かを思い出そうとでもするように遠い目をした。
泊瀬王子(はつせのみこ)様たちが(うそ)をおっしゃっていたようには思えませんが、私には何かが引っかかるのです。何か、とても大きなことを見落としているような……」
「何か、か……。それはお前の(おそ)れから来る不安ではないのか?(こわ)いのであれば断って良いのだぞ」
「恐ろしさは確かにあります。けれど、このまま放っておくこともできません。そんなことをしたら、きっとこの先ずっと心にわだかまりが残ります。それに私、知りたいことがあるのです」
 その『知りたいこと』が何なのか、俺には言われずとも分かる気がした。なぜなら俺も花夜と同様に、知りたい真実があったからだ。
「もしも……もしもあの時、水神様がご健在でいらっしゃったなら、花蘇利(かそり)(うば)われることも、私が国を追われることもなかったのかと……。今さら知ったところでどうにもならないことなのは分かっています。それでも、私……」
 そこまで言って、花夜は(つら)そうに言葉をつまらせた。先を続けようとする花夜を手で制し、俺は代わりに口を(ひら)く。
「べつにおかしなことなどではない。それは大切なものを理不尽(りふじん)(うば)われた者であれば、当然心に()く疑問だ。もしもあの時、少しでも何かが(ちが)っていたならば、あの幸せは今もまだこの手にあったのではないか、と」
「ヤト様……?」
 俺の言葉に何かを感じ取ったのか、花夜が不思議そうな顔で俺を見る。
「俺も、その思いを知っている。俺もかつて霧狭司(むさし)に大切なものを奪われたのだ」
 花夜が小さく息を()む。
「俺はかつて神ではなく、大刀(たち)に宿る精霊だった。戦の中で人の手を転々とし、ある時ひとりの鍛冶(かぢ)に拾われた。不思議な男でな、(カンナギ)でもないのに俺の姿を()、話すことまでできた。その男に鍛冶の(さと)へと連れていかれ、俺はそこで久々に戦のない(おだ)やかな日々を味わうことができたのだ。だが、それも長くは続かなかった。その郷を(おさ)めていた国が霧狭司に(ほろ)ぼされ、鍛冶たちも一人残らず殺された。俺を拾い、心(かよ)わせていたその鍛冶も、な……」
 花夜に過去を語ったのは、これが初めてだった。花夜は真剣な眼差(まなざ)しで俺を見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「そうでしたか。ヤト様も……」
「花夜、お前は迷っていると言ったが、本当はもう心を決めているのではないのか?だが、その先に待ち(かま)えているものが恐ろしくて、足を()み出せずにいるのではないのか?」
 真実を知りたくてたまらない――それは俺にとっても、花夜にとっても目を(そむ)けられぬほどに大きな欲求だった。無理矢理目を()らしてこの国を去ったところで、きっと後々まで未練となって心に残り続ける、そういう(たぐい)のものだった。
 だからどの道、水神の封印を知ってしまった時(すで)に、俺たちの運命は決まってしまっていたのだ。
「何にせよ、封印を破り水神と会わないことには何も分からない。そうだろう?」
「……そうですね。それに、水神様を解放することができれば、この先私たちと同じ悲しみを味わう人間(ひと)をなくせるかも知れませんし」
「ああ。だが無茶なことはするな。真実よりも何よりも、まずはお前の命が第一だ。俺も全力でお前を守るが、守りきれぬ時と場合もあるのだからな」
 その言葉に、花夜がくすりと()みを(こぼ)す。
「そこで『何があっても必ず守りきる』とおっしゃらないところが、ヤト様らしいです」
「己の力量に見合わぬことを言うべきではないからな。(たよ)りない神でがっかりしたか?」
「いいえ。そんなこと、思うはずがありません」
「そうか。ならば、早く寝室に戻れ。眠りが浅いといざという時に頭が働かなくなるぞ」
 言って、(きびす)を返そうとする俺の衣袖(きぬそで)をそっと花夜が指で引いた。
「あの……もう少しだけ、一緒(いっしょ)に星を見ていきませんか?」
「何だ?夜空を見ていると怖くなるのではなかったのか?」
「はい。ひとりで見ている時はそうでした。でも、ヤト様と一緒(いっしょ)だと不思議とそう感じないのです。星々の(またた)きも、夜の闇の深淵(しんえん)さも、ただただ綺麗(きれい)なばかりで……。何故(なぜ)なんでしょうね」
「……さぁ、な」
 気のない返事をしながらも、俺もその星空を綺麗だと感じていた。単純に美しさだけを言うなら、冬の()えた星の輝きの方がよほど美しいと言うのに、この夜、花夜と並んで見上げた夜空は何故だか不思議に美しかった。
 言葉も無くただ寄り()ったまま、俺たちは星の瞬きを(なが)め続けた。こんな風にふたりで見られる夜空が、もうあとわずかしか残されていないことも知らぬまま……。
 俺たちの決心を聞いた泊瀬(はつせ)海石(いくり)は当然のことながら大いに喜び、すぐに水神解放へ向け準備を始めた。
鎮守神(ちんじゅしん)様は大宮の南西の方角(ほうがく)水波多(みずはた)の丘にある別宮(べつぐう)荒水宮(あらみのみや)』にいらっしゃいます。結界は八乙女の()んだ神か精霊に守られているでしょうから、どうしても(たたか)いを()けることはできませんが、そこに至るまでの間に()らぬ(さわ)ぎを起こしたくはありません。ですのでまず我々は、大宮からの使者を(よそお)うことにいたしましょう」
 水神の封じられている結界までの道筋は、元八乙女である海石が案内することになっていた。海石は大宮で得た知識を元にてきぱきと計画を立てていく。
「大宮からの使者を装うためには、まずはそれらしき装束(しょうぞく)と、門を守る衛士(えじ)に見せる割符が必要です。使者の名目は『贖物(あがもの)(ささ)げるため』とでもするのがよろしいかと存じますわ。衛士とは私が話をいたしますから、お二方は用意した装束をお召しになって私の後ろについてきてくだされば結構です」
 言って海石は花夜と泊瀬を見る。二人は神妙に頷いた。
「その他に用意しなければならないものは、別宮に入った後に辺りを照らすための松明(たいまつ)と、贖物(あがもの)に見せかけるための宝物(ほうもつ)……これはヤトノカミ様に大刀(たち)の形におなりいただければ丁度(ちょうど)良いかと存じます……それと、甘葛(あまずら)ですわ」
 最後にさらりと付け加えられた物に、泊瀬が思わず疑問の声を上げる。
「甘葛?甘葛が一体何に必要なんだ?唐菓子(とうがし)でも作るのか?」
「ええ。その通りです。唐菓子を作るのですわ」
「は!?」
「そのうち分かりますわよ。それまで楽しみにしていてくださいな」
 わけが分からないという顔の俺たちに、海石は悪戯(いたずら)っぽい笑みを向ける。
 こうして何やかやと準備にばたばたしているうちに、ついにその日はやって来た。
「ちょっと待て、何だこれは!聞いていないぞ!」
 渡された『大宮の使者の装束』を手に、泊瀬が悲鳴に近い声を上げる。
「あら、私はちゃんと申し上げましたわよ。『用意した装束をお()しになっていただく』と」
「女物の装束だとは聞いていない!」
「まぁ、何をおっしゃいますの。男子禁制の大宮に仕える者と言えば女に決まっていますわ。この国の王子(みこ)たるあなた様であればお気づきになられて当然のことですのに」
瑞穂国(ミヅホノクニ)のヤマトタケルの例でもあるまいし、叔母(おば)が実の(おい)に女装をさせてくるとは思わないだろう、普通は」
 泊瀬はげんなりと肩を落とす。その背後からおずおずと、その装束を身にまとった花夜が出てきた。
「あの……どうでしょうか?きちんと着られていますか?」
 それは水縹色(みはなだいろ)の絹地に青海波(せいがいは)の模様の背子(からぎぬ)が特徴的な衣裳だった。海石によるとこれは大宮に仕える采女(うねめ)の衣裳なのだと言う。
 采女(うねめ)とは大宮での雑務などをこなす下級巫女のことで、国内の有力氏族の姫達がそれぞれの一族を代表して宮に上がり務める。下級(・・)巫女とは言え、無事に大宮での修行を終え故郷へ帰った暁には、一族内での祭祀の一切を取り仕切る巫女として(あが)められることとなる、身分の高い少女(おとめ)達だ。
「あら花夜姫、それではいけませんわ。(えり)(あわ)せの結び(ひも)は、結ばずに胸の前で長く()らしておくのが今の流行(はや)りですのよ」
 海石はいそいそと花夜に歩み寄り、(ちょう)の形に()わえられていた胸元の紐を解き垂らす。
「髪にも少し飾りが要りますわ。花夜姫の清楚(せいそ)さを引き立てるには、あまり派手な花でない方がよろしいですわね。……小百合(さゆる)の花などはいかがでしょう?」
 海石はまるで自分のことのように甲斐甲斐(かいがい)しく花夜の世話を焼く。一方の花夜は恐縮(きょうしゅく)するばかりだった。
「あの、別宮へ入るためだけの仮の装束なのですから、そのように飾り立てていただかなくても……」
「あきらめて大人しく(まか)せた方がいいぞ。海石姫はかなり頑固(がんこ)だからな。あんた、すっかり気に入られたみたいだな」
 花を探しに庭へ出て行く海石を見送り、泊瀬が横からこっそり(ささや)く。
「気に入っていただけるのは(うれ)しいのですけど……」
 困惑した表情の花夜に泊瀬は苦笑して告げる。
「海石姫があそこまで楽しげなのは久しぶりなんだ。あの姫もあれで結構苦労してきたからな。あんた、海石姫のかつての友人に少し似ているんだよ」
「そうなのですか」
 『かつて』という部分に(ふく)みを感じたのか、花夜は気遣(きづか)わしげな顔で海石の去っていった方を見つめる。
「まぁとにかく、ここは一つ我慢(がまん)して海石姫に着飾られてくれ。俺も我慢して着るから」
 引きつった顔で采女(うねめ)の衣裳を手につまむ泊瀬をじっと(なが)め、花夜は元気付けようとでも思ったのか、にこりと笑って(くちびる)(ひら)いた。
「大丈夫です。泊瀬王子(はつせのみこ)様はまだお若いですから、伝説のヤマトタケルノミコトとまでは行かなくても、それなりには見えますよ。その衣裳」
 その花夜らしくも的外(まとはず)れな(なぐさ)めの言葉に、泊瀬は再びがくりと肩を落とした。
「いや、その言葉、全く(うれ)しくないんだが……」
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