第七章 水響(みづとよ)宮処(みやこ)


 『(みづ)(とよ)霧狭司国(むさしのくに)』は、国を南北に貫く『霊河(ひかわ)』と、北の国境(くにざかい)沿()って流れる『響音河(とよねがわ)』の二つの大河がもたらす恵みにより、長きに渡り栄えてきた水の国だ。
 霊河(ひかわ)沿いに築かれたその宮処(みやこ)は『霊河(ひかわ)宮処(みやこ)』と呼ばれ、その中心に()る水神を祭祀(まつ)神宮(かむつみや)は『霊河(ひかわ)大宮(おおみや)』と呼ばれている。
 俺達は峻流河国(するがのくに)水門(みなと)から岸(づた)いに北上した(のち)霧狭司国(むさしのくに)水門(みなと)で舟を乗り()え、霊河(ひかわ)を上ってようやく宮処に辿(たど)り着いた。
「……ここが、霧狭司国(むさしのくに)宮処(みやこ)……。今まで見てきた国々とはまるで違います。まるで、()(くに)にでも来てしまったような……」
 花夜(かや)呆然(ぼうぜん)とそう(つぶや)いたきり、言葉を失ってしまった。
 宮処は大垣(おおがき)と呼ばれる長く巨大な壁に四方(よも)をすっぽりと囲まれていた。
 宮処の真中(まなか)を通る大路(おおじ)は、その長さ、石敷(いしじ)きの美しさも()ることながら、道の両脇に(みぞ)が掘られ雨水(あまみづ)を流しやる働きまで備えている。道沿いには美しく整えられた柳や(たちばな)(えにす)の並木が爽爽(さわさわ)と風に揺れ、その向こうに見える家々の(へい)には白土(しらに)()られ、琉璃(るり)(かわら)艶艶(つやつや)と日の光を浴びて碧色(みどりいろ)に輝いていた。行き()う人々の(きぬ)もみな(あざ)やかで、宮処は(まぶ)しいくらいに色彩に満ち(あふ)れていた。
「高位の神が守護する国とは、ここまで華やかに栄えるものなのだな」
 俺も思わず(うな)るように(つぶや)いた。(くや)しいが、宮処の有様を見るだけでも霧狭司国が他の国々とは比べものにならぬ国力(ちから)を有していることは歴然としている。
(しし)さまが戦わずして霧狭司に屈した理由(わけ)が分かる気が(いた)します。並の国では到底この国に太刀打ちすることなど叶わないでしょうね」
「そうだな……」
 (うなづ)きかけた俺の目に、すれ違う人が花夜のことを妙なものでも見るような目で見ていくのが映った。俺は咳払(せきばら)いを一つして花夜に注意を促す。
「ところで花夜、宮処にいるうちは無闇(むやみ)に俺に話しかけるな。俗人(ただひと)には俺の姿は見えていないのだぞ」
「ああ、そうでした。けれど、不便なものですね。共にいても話しかけられないなどとは」
「そもそも、人前に姿を(あらわ)すなと言ったのはお前の方であろう」
「それは、ヤト様が目立ち過ぎる(ため)です。ヤト様は人間(ヒト)に化けていらしても妙に目立ってしまわれるのですもの」
 花夜のような年頃の少女(をとめ)が一人で旅をしているのは目立つ。だから俺が俗人(ただひと)にも見えるよう姿を(あらわ)し、神だと悟られぬよう髪や(まなこ)の色を変えて共に旅をしていた時期(とき)もあった。だが、いくら姿を変えたとて、俺がただの人間(ヒト)でないことはすぐに(あらわ)となってしまう。だから結局は、こうして姿を(かく)して旅をする今の形に落ち着いたのだった。
「ヤト様が今少し人間(ヒト)らしく()()ってくだされば、周りから奇異の目で見られることも無くなると思うのですが……」
 花夜が困ったように微笑(わら)って言う。
「悪いがそれは無理な話だな。俺には人間(ヒト)の振りはできん。振りを演じようにも、俺には其処等(そこら)にいる物知らずで愚かで物の道理も分からぬ人間(ヒト)の子が常日頃(つねひごろ)何を思って生きているのかなど、まるで見当がつかぬのだからな」
「……また、そのようなことを(おお)せになって……」
 花夜はやれやれとでも言いたげに()め息をつく。だがその(まなこ)微笑(わら)ったままだった。
「では、しばらく私はヤト様に話しかけないことに致しますね。ですのでヤト様も無闇(むやみ)に私に話しかけないでください。うっかり言葉を返してしまうといけませんので」
「ああ。……花夜、分かっているとは思うが、神宮(かむつみや)国王(くにぎみ)(みや)にはくれぐれも近づくでないぞ。高き霊力(ちから)を持つ(カンナギ)と会ってしまえば、俺の正体を見破られてしまう。もっとも、そのような身分高き巫が御殿(みあらか)を出て辺りをうろついているとは思えぬがな」
「心配御無用です。(あや)うい所には近づきません。とりあえずはいつものように(いち)へ行ってみますね」
 宮処には東と西に一つずつ(いち)が設けられている。(うま)の正刻、太鼓(たいこ)の合図と共に門が(ひら)くと、市にはどっと人が流れ込む。市に店を構える市人(いちびと)に、諸国を旅する商人(あきひと)、広場で見せ物をする大道芸人まで、通りには人の活気が満ち溢れていく。
「さて、と。参りますか」
 花夜は荷の内から鈴や(たま)比礼(ひれ)などの装身具を取り出すと、手早く手首や足首に巻きつけた。髪に花を(かざ)り、衣裳(きぬも)をきれいに整えると、花夜は広場の中心に進み出て(まい)を舞い始めた。
 それは花夜が巫女として習い覚えてきた(いにしえ)祭祀(マツリ)(おど)りを、見世物(みせもの)として楽しめるよう見映え良く編み直した独自の舞だった。
 音を(かな)でるものは花夜が見につけた鈴と珠、そして花夜自身が刻む足音と衣擦(きぬず)れの音のみ。それはあまりに素朴で簡素な、しかしどこか(なつ)かしく、見る者の心を昂揚させる(がく)()だった。そしてその音に合わせ、花夜が手に持った比礼(ひれ)を優美に振り動かす。(ちょう)()ばたきのように(かろ)やかに、あるいはそよ風に()れる一輪の花のようにゆるやかに。
 (いち)を行き()う人々が、一人、また一人と足を止めて花夜の舞に見入っていく。やがてそこには人垣(ひとがき)ができ、少しずつ喝采(かっさい)が広がっていった。
 他国(あたしくに)へ初めて足を踏み入れる時、俺たちは()ずこうしてその国の広場で大道芸の真似事をするのが常だった。戦乱の世にあって、国々の中には余所者(よそもの)への警戒心が強いところも多い。そうした場所へ(あや)しまれることなく(まぎ)()むには、こうするのが一番良いと旅の中で悟ったからだ。こうして舞を披露(ひろう)すれば、幾許(いくばく)かの路銀を(かせ)ぐこともできるし、もう一つ、利点がある。
「あんた、どこから来たの?見たことのない舞だったけど、すっごく綺麗(きれい)だったわぁ」
 花夜が舞を終え一休みしていると、先ほど人垣から花夜の舞を眺めていた婦女(をみな)が話しかけてきた。
「ありがとうございます。実は私、古里(ふるさと)(いくさ)()くしてしまいまして、旅をしながら生きてきましたので、どこから来たというわけでもないのですけど……」
「あらまぁ、それはお気の毒に……。こんな世の中だものねぇ……。この国だっていつ何が起こることか……」
 花夜が簡単に身の上を説明すると、婦女の目はあからさまに同情を()びる。これも常のことだった。
 珍しいもの、美しいものを披露(ひろう)すれば、それは話の種となり他人(ひと)との会話を生み出しやすい。その上そこで花夜の身の上を語れば、相手の(あわ)れみを(さそ)い、警戒心を()く助けともなるのだ。
「あの……この国にもやはり、戦の(きざし)などあるのでしょうか?今はとても平穏に栄えているように見えますが……」
 憐れみの中にもどこか不穏さを宿した婦女の声音におそるおそる花夜が問うと、婦女は苦く微笑(ほほえ)んだ。
「兆なんて大層なもんは無いさ。でもいつ起こっても不思議ではないね。宮殿(みかど)(いま)す方々は何かにつけて戦をしたがるから。戦で手柄(てがら)を立てればそれだけ自分達の(くらい)が上がるからねぇ」
「……そんな。自らの位のために他国(あたしくに)に戦を仕掛(しか)けるのですか?」
 花夜が『信じられない』と言いたげに目を見開く。
「他国だけじゃないさ。内輪(うちわ)でも相当にもめてるって話だよ。何でも去年(こぞ)の春に(さき)魂依姫(タマヨリヒメ)と、その後継(あとつぎ)と目されていた八乙女の御一人が相次いで亡くなられたのも、敵対する氏族の(はかりごと)だと(もっぱ)らの噂だしね。全く、嫌な世の中だよ」
「え?魂依姫(タマヨリヒメ)って、八乙女の(をさ)――すなわち、この国で最も位の高い巫女ですよね?そのような方が殺されたのですか?」
 花夜が信じられないという顔で問う。
「ああ。罰当たりにもほどがあるけどねぇ。氏族の方々にとっては魂依姫(タマヨリヒメ)も八乙女も、己の権力(ちから)をより高めるための道具でしかないのさ。自分の氏族の姫君を次々と神宮(かむつみや)に送り込んでは位を競わせているのだから。宮にいらっしゃる方々は、もうとても真っ当な考えを持ってはいらっしゃらないんだ。この国でまともな方は、今やもうハツセノミコ様くらいのものだよ」
「ハツセノミコ様?」
「ああ、あんたはよそから来たから知らないんだね。ハツセノミコ様は水神(みづかみ)様の御寵愛(ごちょうあい)深きミコ様だよ。とても強い霊力(ちから)をお持ちで、ご身分も高くていらっしゃるのに、気さくに(ちまた)を出歩かれて、私らみたいな者にまでお声を掛けてくださるんだ」
「ミコ!?ミコとはまさか、巫女のことか!?(ちまた)をふらふら出歩くような巫女がこの国にはいるのか!?」
 思わず、婦女(をみな)には聞こえないと知りつつ叫ぶと、横で花夜も(あせ)ったように表情を(かた)くする。
「……本当にいらっしゃるのですね、そのようなミコ様が。それで、その方はどういった時にここへいらっしゃるのですか?」
「さぁねぇ。あの方はとても気まぐれでいらっしゃるから。いつ来るかは分からないよ」
「……そうですか」
 花夜は婦女との会話を程好(ほどよ)く切り上げると、手早く荷を(まと)め門の方へ向け歩き出した。
「……不味(まず)いですね」
 強張(こわば)った顔のまま(ささや)く花夜に、俺も苦い顔で(うなづ)く。
「ああ。不味(まず)いな。広い宮処の中、そのようないつ現れるとも知れぬミコと出くわす可能性は低いやも知れぬが、万が一つにも出くわしてしまえば(しま)いだ。……花夜、一先(ひとま)ず人目のつかぬ所へ身を(ひそ)めろ」
「え?何故(なにゆえ)ですか?身を潜めたところで、霊力(ちから)の強い巫であれば神の気配(けわい)などすぐに気取(けど)ってしまうものと思われますが……」
 きょとんとした顔で問う花夜に、俺は首を横に振って説明を加える。
「そういうことではない。万が一見つけられた時に備えて大刀(たち)変化(へんげ)しておくのだ。『神を連れた巫女』よりは、『神の宿る大刀を(たまさか)に手にした俗人(ただひと)』としておいた方がもしやの時も少しは()(わけ)が立つやも知れぬ」
「……確かに。神そのものを連れていたのでは、俗人(ただひと)だなどと言い(のが)れの仕様がありませんからね」
 花夜は得心(とくしん)がいったというように(うなづ)き、そのまま物陰(ものかげ)へと身を(ひそ)めた。
「ヤト様、大丈夫ですか?窮屈(きゅうくつ)ではありませんか?」
 物陰(ものかげ)(かく)れて大刀(たち)に変化した俺は、目立たぬよう比礼(ひれ)神体(からだ)幾重(いくえ)にも巻かれ、花夜の(かいな)(かか)えられながら川沿いの道を進んでいた。
『ああ。大丈夫だ。それよりも花夜、慎重(しんちょう)に行くのだぞ。早く宮処を出るに越したことは無いが、決して()けたりはするな。大通りを避けているとは言え、ここも人目が無いわけではない。おかしな動きをすれば怪しまれるし、必要の無いうちに走って疲労してしまうと、いざと言う時に逃げられぬからな』
 神体(しんたい)としての大刀(たち)は布に全身を覆われていたが、俺は神としての眼力を使い、常に(あた)りに目を光らせていた。
 市の(はた)を流れる川には、今も沢山(たくさん)の荷を積み込んだ舟が(せわ)しなく往来(ゆきき)していた。自然の川のように蛇行せず、どこまでも真っ直ぐに整備されたこの川は、市へ荷を運びやすくするために霊河(ひかわ)の水を引き込んで(つく)られた堀川(ほりかわ)なのだ。
「はい。分かっています。逃げているなどとは思われぬような足取りで、けれどでき()る限り速く行けば良いのですね」
 花夜は言葉通り、(つね)と変わらぬ足取りで、しかしいつもよりほんのわずかに足を速めて門への道を目指していく。
 その足運びは自然そのもので、とても何かから逃げようとしている人間のものには見えなかった。当然のことながら、特に誰かから見咎(みとが)められええることも声をかけられることもなく、そのまま無事(ぶじ)に門へ辿(たど)り着くかと思われた、のだが……。
「きゃっ!?」
 唐突(とうとつ)に、俺の身に衝撃が走った。
 花夜が悲鳴を上げ、その場に腰をつく。何が起きたのか理解できない呆然とした表情の後、花夜は蒼白な顔で叫びを上げた。
物盗(ものと)りです!誰か!あの人を(つか)まえて下さい!」
 俺を奪い逃げているのは薄汚れた(きぬ)に身を包んだ一人の男だった。この時代(ときよ)、人を襲い物を奪う(やから)は珍しくはなかったが、まさか宮処で、しかもこのような昼日中から襲ってくる人間がいるとはさすがに思いもしなかった。
 花夜の叫びに道を行く人々の目が集まる中、男は俺の身を川に浮かぶ舟の一つへと投げる。舟の上にいた仲間らしき男が器用に俺を受け止め、別の男が素早(すばや)(かい)を取り舟を()ぎ出した。初めに花夜から俺を奪い取った男も、走ってきた勢いそのままに岸辺を()り舟に飛び乗る。そのまま男達は手にした武器で周りの舟を威嚇(いかく)しながら水の上を悠々と()けていく。
「上手くいったな。ここまで来ればもう大丈夫だろう」
「で、モノは何なんだ?身形(みなり)の良い女子(むすめ)が大事そうに抱えていたのだから、相当な値打ち物だろう」
 男達は逃げ切れると確信しきったように、ゆるんだ表情で俺を包む比礼(ひれ)を解く。その顔が次の瞬間、感嘆(かんたん)したように呆けた。
「これは……、思っていた以上だ。何と美しい大刀(たち)なんだ。これは相当な(たくみ)が作ったに(ちが)いないぞ」
「見てみろよ、この豪華な大刀(たち)(ごしら)黒漆(くろうるし)(くがね)琉璃(べにるり)……。これはかなり高く売れるぜ」
 男達の昂奮(こうふん)した声を聞きながら、俺はしばし悩んだ。
 相手は盗人(ぬすびと)とは言え、何の霊力(ちから)も持たぬただの人間(ヒト)だ。霊力(ちから)を使えば逃れることなど容易(たやす)い。だがそのようなことをすれば、俺達の存在が知られたくない相手――霧狭司(むさし)(カンナギ)にもすぐに知れてしまうだろう。
 深く思案(しあん)(めぐ)らせていたその時、俺の眼力が遥か後方で必死に俺を追ってくる花夜の姿を(とら)えた。
「待……っ、ヤト様……っ」
 花夜は川沿いの道を息も絶え絶えに走ってくる。
 髪はほつれ、衣裳(きぬも)は乱れ、顔にも首筋にも滝の汗が流れている。そしてその(まなじり)にはうっすらと(なみだ)が浮かんでいた。その姿を、道行く人々が驚いたような目で見つめている。
 その姿を視た刹那(せつな)、俺の頭からは躊躇(ためら)いも後先への(うれ)いも、何もかもが吹き飛んでいた。
(貴様ら……俺の巫女をああまでも苦しませてただで済むと思うな)
 花夜にあのような(みじ)めな姿を(さら)させたこの男達を許しておけない、一時(いっとき)も早く花夜の元に行って、倒れそうなその身を支えてやりたい――その時の俺の頭には、ただそれしか浮かばなかった。
 俺はそのまま、衝動の(おもむ)くままに霊力を振るおうとした。神体がうっすらと光を帯び、男達を打ちのめすための火の霊力が身の内に(ふく)れ上がっていく。
 だが、その霊力が神体から解き放たれようとする寸前、辺りにふいに、(りん)()んだ声が響き渡った。
(いち)(なが)るる堀川(ほりかわ)の、その源たる聖なる河よ――()に宿りし女神・霊河比売尊(ヒカワヒメノミコト)よ。霧狭司国が鎮守神(ちんじゅがみ)水波女神(ミヅハノメノカミ)(ゆかり)ある神よ。泊瀬(はつせ)の名において()がう。()く来たりて()しき盗人(ぬすびと)を乗せたる舟を()らえ(たま)え」
 その声に俺は戦慄(せんりつ)した。
(これは……言霊(コトダマ)霊力(ちから)を秘めた祈言(ネギゴト)だ)
 直後、その声に(こた)えるように舟の行く手でぶわりと川面(かわも)が盛り上がった。それは見る()にある形を()していく。
 それは、二つの(かいな)だった。水面(みなも)から突き出したあまりに大きな、しかし同時にあまりにも優美な女の腕。
 男達は悲鳴を上げ、舟の上を右往左往する。水で形作られた二つの腕は、舟の両端(もろはた)をがしりと(つか)むと、そのままある方向へと運び始めた。その行く手、波打つ川の水の上に(・・・・)、先ほどの声の主らしき人物が身を(かし)がせることもなく真っ直ぐに立っている(・・・・・)
「まったく、騒ぎを聞きつけて駆けつけてみれば……。白昼堂々、か弱き少女(をとめ)から物を盗むとはな。その上、舟で追っ手の届かぬ所へ逃げるとは。お前達、その知恵を今少し違うことに使ったらどうだ」
 腕組みをして待ち(かま)えていたその人物は、厳しい眼差しで男達を糾弾(きゅうだん)する。男達はその姿を見て顔色を失った。
「み、水の上に立ってる!?」
言霊(コトダマ)だけで水を(あやつ)る、水に愛されし者……。まさか、ハツセノミコ様!?どうしてこんな所に!?」
 男達の悲鳴じみた声に、()はふっと唇の端を持ち上げた。
「どうしても何も、水辺で悪事を働けば、それは全て水神(みづかみ)様の知るところとなるに決まっているだろう。宮処(みやこ)で悪事を(おか)して許されると思うな。水神様は全てを御覧(ごらん)になっていらっしゃるのだからな」
 彼は断罪するようにそう言い放つと、川面(かわも)に向かい何事か小さく(つぶや)く。すると水の(かいな)が再び動き出し、男達を乗せた舟を岸へと押しやり始めた。
 彼はさらに二言三言(ふたことみこと)(ささや)く。すると今度は彼の足下に白波(しらなみ)が立ち、そのまま彼を乗せて舟の後を追うように動きだした。
 俺は慄然(りつぜん)としたまま、眼力で彼を観察する。
 ハツセノミコと呼ばれたその人物は、年の(ころ)十四、五ほどの男童(をのわらわ)だった。高貴な身分らしく、身につけた衣褌(きぬはかま)は相当に上等な絹で織ら上げれている。しかし彼はそれを(たすき)(ひも)でたくし上げ、ひどく乱雑に着崩(きくず)していた。
(これが、ハツセノミコだと?どう見ても女ではない。巫女(・・)でないのにミコ(・・)とは…………。まさか……)
「さすがミコ様!よくやって下さった!」
「ハツセノミコ様ーっ!御立派ですーっ!」
 周りの人垣からわっと歓声が上がる。彼は岸辺に降り立つと、慣れた様子で人々に手を振る。駆けつけてきた兵士に盗人(ぬすびと)達を引き渡した後、彼は舟の上に転がる俺の神体(からだ)を拾い上げた。途端(とたん)、その眉が怪訝(けげん)そうにひそめられる。
「ん……?これは……。まさか……」
 やはり、見破られてしまうのか、と俺は胸の内で苦く思う。相手は()がいを口にしただけで神の助力を得られるような人物だ。並の霊力の持ち主ではない。
「あの……っ、その大刀(たち)を、返して(いただ)けませんか?」
 その時、やっと追いついた花夜が息を切らしたまま男童(をのわらわ)に声を掛けた。彼は振り返り、不思議そうに花夜を(なが)る。
「あんた、何者だ?どうしてこの大刀(たち)を持っている?」
「あの、どういうことでしょう?ご質問の意味が分かりかねますが……」
 花夜は何とか誤魔化(ごまか)そうとするが、その声は動揺のためか明らかにぎこちなく震えていた。そんな花夜の耳元に顔を寄せ、彼はひそめた声で告げる。
「あんた、他国(あたしくに)の巫女じゃないのか?そしてこの大刀(たち)には神が宿っている。違うか?」
「え、いえ。私はそのような大層な者では……。それにその大刀(たち)についても、何も知りませんが……」
 顔面を蒼白にしてしどろもどろに言い(つくろ)おうとする花夜を見つめ、少年は苦笑した。
誤魔化(ごまか)さなくていい。あんた達が何者であろうと、害を加える気はない。だがまぁ、ここでは人目を集め過ぎたからな。共に来てくれ。落ち着ける場所で話をしよう」
 その声は、俺が霧狭司という国に(いだ)いていた印象とはほど遠く、思いがけず優しいものだった。
「あの……どこまで行くのですか?まさか、国王(くにぎみ)の宮へ行こうとしているわけではありませんよね?」
 不安に駆られたように花夜が問う。宮処(みやこ)(いく)つもの区画に分かれており、各々(おのおの)の区画は壁と門とで(へだ)てられている。門には衛士(えじ)()めており、本来であれば門ごとに定められた手形(てがた)を見せねば通してもらえぬはずであった。なのに、男童(をのわらわ)は顔を見せ簡単な名乗りをしただけで、次々と門を通り抜けていく。門を一つ抜けるたびに広く豪華になっていく周りの建物に、俺も言い知れぬ不安を覚えていた。
「さすがにそんな所へは連れて行かないさ。これから行くのは俺が今、居候(いそうろう)をさせてもらっている(いえ)だ」
 そう言って彼が案内(あない)したのは、国王(くにぎみ)の宮にほど近い、一目(ひとめ)見ただけで貴人(あてびと)(いえ)と分かる広大な(たち)だった。玉石(たまいし)を敷きつめた庭園には(はちす)の浮かぶ池が広がり、()()りの唐橋(からはし)が美しい曲線を描いて()け渡されている。
「この池は元々ここにあった水沼(みぬま)を利用して造られたんだ。このような水沼が多く()った所だから、この辺りは水沼原(みぬまがはら)と呼ばれている」
 呆然と庭に見入る花夜に男童(をのわらわ)が説明する。
「あの……それよりも、ここはどなたの御屋戸(おやど)なのですか?あなたは一体……」
「ああ、悪かった。まだ何も言っていなかったな。ここは霧狭司を治める二十二氏族が一つ、射魔氏(いるまうじ)(いえ)だ。そして俺は……」
 その先の言葉は、激しい足音と甲高(かんだか)少女(をとめ)の声によって掻き消された。
泊瀬(はつせ)様!また(だま)って屋戸(やど)を抜け出されましたね!?」
「……しまった。見つかってしまったか」
幾度(いくど)申し上げればお分かりになって(いただ)けるのですか!?あなたはこの国にとって、掛替(かけが)えのない御方……」
 駆け込んできた少女(をとめ)は、花夜と、その(かいな)に抱えられた俺の姿に気づき、はっと口を(つぐ)む。
「……海石姫(いくりひめ)客人(まれびと)の前だ。小言は後にしてもらえないか?」
 おそらくこの(いえ)の姫であろうその少女(をとめ)は、年の(ころ)十七、八。色鮮やかに染め上げられた(きぬ)の上に極彩色(ごくさいしき)背子(からぎぬ)を重ね、高く()い上げた髪に象牙(ぞうげ)花簪(はなかんざし)()していた。
 彼女は食い入るように花夜とその(かいな)に抱かれた俺を見つめた後、深々と(こうべ)()れた。
「これは失礼(いた)しました。私は射魔海石(いるまのいくり)と申します。ハツセノミコ様にお(つか)えする宮女(みやをみな)ですわ。ようこそ我が屋戸(やど)へいらせられました。大刀(たち)に宿る神様、そしてその巫女様」
 一目で正体を見破られた花夜は驚きに目を見開き、思わずというように(つぶや)きを()らす。
「え……?どうして、私達の正体を……」
海石(いくり)姫は元八乙女だからな。それくらいのことは分かるさ」
「元八乙女!?それに、さっき、ハツセノミコと(おっしゃ)っていましたよね?ミコとはもしかして……」
「ああ。俺は親王(みこ)。霧狭司の国王(くにぎみ)御子(みこ)だ。だが今更(いまさら)(かしこ)まる必要はないぞ。宮殿(みかど)へ上がれば親王(みこ)内親王(ひめみこ)もうじゃうじゃいる。べつに珍しい存在(もの)でも何でもないからな」
「……親王(みこ)様なのに、(とも)も連れずに一人で(いち)を歩いていらっしゃったのですか?」
 花夜が何とも言えない顔で泊瀬(はつせ)を見やると、海石(いくり)は大きく(うなづ)き、これ見よがしに()め息をついた。
「そうなのです。幾度(いくど)申し上げても分かって(いただ)けなくて……。大宮や他の親王(みこ)様方(さまがた)から御命を狙われる(あや)うい御立場だというのに……」
「命を狙われるとは、(おだ)やかではないな」
 俺は大刀から人の姿へ戻り、問うように海石(いくり)(まなこ)を見る。海石は驚いたように目を(みは)った後、すぐに気を取り直して再び口を(ひら)いた。
「はい。あなた様も、(いち)にいらしたのであればお気づきになられたでしょう。泊瀬(はつせ)様は宮処人(みやこびと)達に大変評判の高い親王(みこ)様です。それを脅威(きょうい)に思っていらっしゃる方々が少なからずいるということですわ。周りは(あた)ばかり。宮中にいらっしゃっては御命が(いく)つあっても足りません。ですので泊瀬様の御母君は、様々な名目を付けて泊瀬様を御実家であるこの射魔(いるま)(いえ)にお預けになったのです」
「とは言え、次の()国王(くにぎみ)たる王太子(ひつぎのみこ)は、もう俺の異腹(ことはら)の兄に決まっているんだがな。何で皆、いつまでも俺なんかに(かま)うんだか」
「それは、あなた様ほど次の()国王(くにぎみ)にふさわしい親王(みこ)はいらっしゃらないと、誰もが知っているからですわ。今の王太子(ひつぎのみこ)たる雲梯(うなて)様など、どう考えても国王(くにぎみ)相応(ふさわ)しい御方ではありませんもの」
「……それはどうだろうな。あの方は確かに変わり者だが、あれで結構頭の切れる(かた)だと思うぞ」
「どんなに頭がよろしくても、それを遊びにばかり(つい)やすようではどの道、国王(くにぎみ)の器などではありませんわ。後ろ盾たる葦立氏(あだちうじ)の権力を笠に着て、やりたい放題の散財し放題ではありませんの。あの方はこの国のことなど少しも考えてはいらっしゃらないのですわ。やはり、国王(くにぎみ)にはこの国のことを真剣に(うれ)えていらっしゃる方がなるべきです」
 そう言って海石は何かを期待するようにじっと泊瀬の顔を見る。泊瀬は居心地が悪そうに目を()らした。
「俺はべつに国王(くにぎみ)御位(みくら)なんて欲しくないって、前々から言ってるだろう。俺には他の氏族を制し(たば)ねる力など無い。国王(くにぎみ)になったところで、氏族同士の権力争いの(こま)にされるだけさ。それに俺はべつに国王(くにぎみ)になってこの国を救いたいなんて大層なことを考えているわけじゃない。俺が救いたいのは……」
 言いかけ、泊瀬(はつせ)はハッとしたように俺と花夜を見た。
他国(あたしくに)の神と巫女……。そうか、水神(みづかみ)様の従神(みとものかみ)でない他国(あたしくに)の神ならば、あの御方をお救いすることが叶うかも知れない……」
 そのあまりに熱を帯びた眼差しに、俺も花夜も戸惑う。
「あの御方……?お救いするとは、一体どういうことなのですか?」
「俺には、どうしてもお救いした方がいるんだ。その方は、光も差し込まぬ場所に閉じ込められて、誰にも声を聞いてもらえず、いつも泣いていらっしゃるんだ。俺はあの方を助けるためなら何を()てても構わない」
 それまでとは打って変わった声で彼は言った。彼にとってその相手がどれほど大切なのかをまざまざと知らしめる、悲痛な声音だった。
「だが、俺の力ではあの方をお救いすることはできない。あの方は八乙女の(つく)った結界の内にいる。俺が()び出せる神々は皆、水神(みづかみ)様と(ゆかり)ある神々ばかりで、水神様直属の巫女とされている(・・・・・)八乙女を裏切るようなことに手を貸してはくれない。だから、霧狭司国(むさしのくに)とは縁の無い他国の神の力が必要なんだ」
「私たちが力をお貸しすれば、その方を救い出すことができるのですか?」
「ああ、きっと救い出せる。他国(あたしくに)の巫女にこのような頼み事をするのは本当に申し(わけ)無いのだが、俺にはもう、他に方法が無いんだ。どうか、力を貸してくれ!」
 泊瀬(はつせ)はその場に(ひざ)をつきかねない勢いで懇願(こんがん)してくる。話の流れがおかしな方向へ行こうとしていることに気づき、俺は(あわ)てた。
「待て、花夜。お前まさか、手を貸す気が?八乙女が結界を張って封じ込めているような人物なのだぞ。国に相当な影響力を持つ人物に決まっている。厄介事(やっかいごと)にわざわざ首を突っ込む気か?」
「でも、泊瀬親王(はつせのみこ)様は先ほど私達を助けてくださいました。その御恩に(むく)いねばならないと思いますし、それに……」
 一旦(いったん)言葉を切り、花夜は悪戯(いたずら)っぽい()みを浮かべて俺を見た。
「ヤト様は御興味が()きませんか?八乙女が結界を張ってまで閉じ込めている方の正体が。見てみたいと思いませんか?そんな方をもし本当に救い出せるとしたら、その時この国に何が起こるのか……」
「……確かに、あの御方を解放すれば、この国の(まつりごと)はひっくり返るでしょうね。代々の国王や八乙女が(たばか)ってきたことが白日(はくじつ)(もと)(さら)されるのですから」
 海石(いくり)が冷静に(つぶや)く。その言葉には、さすがに俺も興味がそそられた。
「それほどの重要人物なのか。お前達が救おうとしているのは一体どのような人間なのだ?」
 その問いに、泊瀬(はつせ)は苦笑して答えた。
人間(・・)ではない。――()だ。俺が救おうとしている御方は、この国の鎮守神(ちんじゅがみ)でありこの世のあらゆる水を()べる姫神・水波女神(ミヅハノメノカミ)。俺は物心ついた(ころ)から、ずっとあの方のことを(いめ)()てきたんだ」

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和風WEBファンタジー小説・花咲く夜に君の名を呼ぶ
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